月江寺・西照庵月見景

マーカーは月江寺です。

月江寺
[1570年、織田信長と浄土真宗本願寺(石山本願寺)との石山合戦が始まり、1576年信長は天王寺城を、現在の月江寺の地に築かせている。1580年両者は和睦し天王寺城も廃城となっている。
1697年天王寺城跡に、東印比丘尼が徳川5代将軍・綱吉の生母・桂昌院の両親の菩提を弔うために月江寺を開創している。
江戸時代摂津名所図会にも掲載される名所であり、<西の阿弥陀池東の月江寺>と称されていた。
現在は、生玉寺町の中に小さな境内を有する静かなお寺であり、通常は非公開である。  (「月江寺 (大阪市天王寺区) – お寺の風景と陶芸」より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」- 「2巻50・月江寺かわらけ投

南粋亭芳雪/画 西照庵月見景(wikipedia-photo)

[生玉寺町を南に突き当たったところの尼寺・月江寺の裏門の西に、浮瀬と同様に有名な料亭、西照庵がありました。上町台地の豊かな木々に囲まれ、京都・円山を模したといわれる庭には泉が湧き、桜や萩、菊など季節の花見が楽しめ、紅葉の名所にも数えられていました。座敷からは市中はもとより海までも見渡せ絶景でした。西照庵の名前にふさわしく、紅葉の頃には沈む夕陽に照らされて、美しさは格別であったといわれます。明治初期には姿を消しました。
現在の地図で位置を確認してみましょう。現在の月江寺は南側に正門があり、江戸時代当時よりも境内が狭くなっているようです。西照庵は、「生玉寺町(生玉霊園)」の文字のある辺りから「大阪夕陽丘学園高・短大」にかけての辺りにあったものと思われます。  (「今週の今昔館(189) 西照庵 20191113」より)]

月江寺山門前のカメラです。