木村重成の墓

マーカーは木村重成の墓です。

木村重成の墓
[大坂夏の陣で戦死した木村重成の墓は、もとはここから東五〇メートルの地点にあったが、 昭和四二年第二寝屋川の開削工事により、その川筋にあったのでここに移された。  この墓は、宝暦一四年(一七六四)重成の一五〇回忌にあたって、重成の首を落とした安藤長三郎の子孫で、彦根藩士安藤次輝が建てたもので、昭和一四年大阪府の史跡として指定されている。【出典『史跡の道・説明石板』八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市・八尾教育委員会、1983年】
当初重成と並んでいたという山口重信の墓が今は恩智川を挟んで 向かい側の若江南墓地内にある。重成の霊を祭る「木村祭」が毎年命日の六月五日に墓前で開催される(消防団主催)。彦根市からの参加も欠かさずある。墓地内は常に参詣人の手により隅々まで清掃され花が手向けられている。墓左側面に判読不明の石板があり、また右側には今東光書の石碑がある。  (「きむらしげなりのはか 木村重成の墓 – 八尾市観光データベース」より)]

[山口重信は大坂夏の陣では井伊直孝の軍に属して奮戦するが、八尾・若江の戦いで木村重成に討ち取られて戦死。享年26。法名は傑山宗英大雄院。  (wikipedia・山口重信より)]

河内名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [著] ; 丹羽桃渓 画 – 早稲田大学」 – 「若江忠臣名賢古墳(4巻43)

[図絵右ページに木村重成墓、左ページに山口伊豆(重信)墓が描かれています。]

木村重成墓前のカメラです。