枚岡神社

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枚岡神社
[枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は、大阪府東大阪市出雲井町(いずもいちょう)にある神社。式内社名神大社)、河内国一宮旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
大阪府東部、生駒山地西麓において西面して鎮座する。後背山上の神津嶽における山岳信仰に始まるとされ、中臣氏の祖の天児屋根命を主祭神とする中臣氏の氏神として知られる。
中臣氏から分かれた藤原氏が氏神として春日大社を創建した際には、祭神4柱のうち2柱として当社の天児屋根命・比売神の分霊が勧請されており、それに由来して「元春日」とも称される。その後も藤原氏の繁栄に伴って崇敬を高め、平安時代神階は正一位勲三等の極位に達している。中世以降は河内国の一宮として崇敬され、明治維新後は近代社格制度では最高位の官幣大社に位置づけられた全国的にも有力な古社である。
天正2年(1574年)には神官の水走有忠と織田信長の間で合戦が生じ、社殿を焼失した。慶長7年(1602年)に豊臣秀頼によって本殿が再建され、11月には大明神橋が再興(擬宝珠が現存)されたほか、慶長8年(1603年)11月には釣灯籠が寄進され(現存)、慶長10年(1605年)には再興のためとして社領・山成が寄進された。慶長19年(1614年)10月には徳川家康による大坂の陣に伴って、京都所司代板倉勝重が禁制三ヶ条を出している。
江戸時代には社領として豊浦村から5石9斗5升が寄せられていた。慶安元年(1648年)には、朱印状によって山林・竹木の伐採禁止および諸役免除が定められた。江戸時代を通じて幕府からの崇敬は薄かったが、文政9年(1826年)に氏子によって現本殿が造営されている。
本殿は春日大社と同様に春日造4棟からなり、東大阪市指定有形文化財に指定されている。また多くの祭祀を現在まで継承しており、特殊神事のうちでは粥占神事が大阪府選択無形民俗文化財に選択され、注連縄掛神事が東大阪市指定無形民俗文化財に指定されている。
粥占神事
「かゆうらしんじ」。1月11日。
小正月の年占い神事。かつては1月15日に行われたが、現在は1月11日に斎行されて15日に結果が発表される(粥占奉賽祭)。神事では、米5枡・小豆3枡を大釜で炊き、その中に占竹53本1束を吊り下げて入れ、竹の中に入った小豆粥の状態でその年の豊作を占う。また黒樫の占木12本(閏年は13本)を竈に入れて、木の焦げ具合で晴雨を占う。『河内鑑名所記』にも神事の様子が記述される。大阪府選択無形民俗文化財に選択されている。
注連縄掛神事(お笑い神事)
「しめかけしんじ」。12月23日。
笑いにより春を誘う神事。かつては粥占神事に先立つ1月8日に行われた。神事では、石段下の注連縄柱に大きな注連縄を掛け渡し、その下で神職と氏子総代が春の到来を念じて高笑いを行う。東大阪市指定無形民俗文化財に指定されている。

一の鳥居(後背に神津嶽を望む。)・wikipedia-photo

石鳥居・wikipedia-photo

二の鳥居・wikipedia-photo

参道・wikipedia-photo

拝殿・wikipedia-photo

本殿、透塀・wikipedia-photo

本殿(東大阪市指定文化財) – 手前から奥に第二殿・第一殿・第三殿・第四殿。wikipedia-photo

  (wikipedia・枚岡神社より)]

枚岡神社境内図(「オープンストリートマップ」より。)

  
河内名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [著] ; 丹羽桃渓 画 – 早稲田大学」 – 「牧岡神社(5巻25)

正月十五日御粥占之神事(5巻28)

御粥占神事其二(5巻29)

枚岡乃宮居のすもう(5巻30)

枚岡神社石鳥居前のカメラです。

枚岡神社二の鳥居前のカメラです。

枚岡神社境内鳥居前のカメラです。

枚岡神社境内石段前のカメラです。

枚岡神社拝殿前のカメラです。