柴島神社(柴島晒堤)

マーカーは京橋です。

柴島神社
[柴島神社(くにじまじんじゃ)は、大阪市東淀川区柴島三丁目にある神社。旧村社。神紋は橘。
社伝によると、貞永元年(1232年)9月の大洪水時に、「仲哀天皇の森」という名の高地に避難していた村人のところに、柴に乗った小祠が流れ着き、まもなく水が引き救われたため、以後、産土神として奉祀したのが起源という。
村社の社格を与えられ、神饌幣帛料供進社に指定されていたところ、明治34年(1901年)4月淀川大改修工事のため、仲哀天皇社とともに現在地に移された。
境内社
●摂社
 ●仲哀天皇社 – 仲哀天皇熊襲追討のため長門国の穴門(あなと 山口県豊浦郡)へ船旅する途中、この地に逗留して日和待をしたが、村人たちが新鮮な野菜を献上したところ、大変喜び、自らの木造を刻み、残したのが起源と伝えられる。
●末社
 松住吉神社 – 住吉大神稲荷大神、水波能売神(みずはのめかみ)を祀る。明治末に末社「水神社」を合祀。水波能売神は、井戸水の神で、淀川の水害から守り、飲料水や晒業(江戸時代、当地は柴島晒(くにじまさらし)が盛んであった)の守護神であり、「柴島の水神さん」の名で親しまれていた。  (wikipedia・柴島神社より)]

[柴島、晒堤の絵は、淀川右岸の柴島を眺めた風景(画像リンク)です。ちょうど、現在の柴島浄水場があるあたり。江戸時代、この付近の堤では、名産の「柴島ざらし」をさらしていました。本文の「晒堤」の項には次のようにあります。
≪此地、淀川の辺なるゆゑに流れを汲んで布木綿をさらす。これを柴嶋ざらしといふ。さる程に四時ともに芝生に木綿布をさらして、一円に白妙なすこと、恰も雪のごとしと。其風景、絶勝なり。此辺、船中より崇禅寺の松林みゆる。此馬場にて敵討の事、世に名高し。≫
 「柴島ざらし」をさらす様子は雪と見まがう絶景で、後方に見える崇禅寺の松林とのコントラストが船客の目を楽しませたことでしょう。
 柴島の北側では、淀川の川岸を利用して布木綿を晒していたので、柴島の堤を晒堤と称しました。挿絵にもあるように、河原一面に敷き詰められた晒木綿は、船の中から見るとあたかも雪が積もったように美しく、その風情は格別のものであったに違いありません。
地名の由緒に定説はありませんが、柴島と書いて「くにじま」と読ませることについては、槲島(くぬぎじま)の転訛と見る説があります。つまり、槲は柴や薪とする木材であり、昔はここに槲を植えて柴を作ったことから、いつしか略して柴島と表記して「くにじま」と呼ぶようになったと考えられています。
柴島(くにじま)は、淀川と中津川との分岐点の北岸に位置します。麻や木綿の布を白くした晒は、灰什を加え、天日にさらすことを何度も繰り返すという手間のかかる作業が必要とされます。柴島は豊富で澄んだ水と良好な日照、加えて美しい芝生の土手が広がる晒造りに最適な土地柄で、奈良晒に劣らぬ品質を誇った柴島晒の一大名産地として知られました。淀川堤一帯に木綿を並べ敷いて乾し晒す様は、まるで雪が降り積もったかのごとく絶景で、目にもまぶしく、舟行の人々にもその風情を愛でられ、晒堤の異名をとりました。  (「今週の今昔館(273) 柴島、晒堤 20210630」より)]

歌川國員/画 柴島晒堤(wikipedia-photo)

カメラ位置は柴島神社西参道口で、カメラ東方向玉垣口左境内に柴島晒(さらし)ゆかりの地の記念碑と解説板が設置されています。


(「柴島の集落(大阪市東淀川区) – 日常旅行日記」より)