富田宿本陣跡碑

マーカーは富田宿本陣跡碑です。

富田宿
[大平町昭和57年3月31日に発行した「大平町誌」には、「富田宿」の項に≪富田宿が例幣使街道の宿駅となったのは、公式には正保三年(1646)からであるが、実際には元和三年(1617)徳川家康の霊柩を日光に埋葬する為、3月29日霊柩を奉護する行列がこの地を通行したときにはじまるということが出来る。≫と記しています。又、富田村の中を通過する往還の長さは「25町58間」(約2.83km)、そしてこの内富田宿を形成するのが「12町12間」(約1.33km)、宿の入口と出口にそれぞれ木戸が設けられた。としています。しかし現在街道を歩いても木戸がどの辺りに有ったのか記すものは何も有りません。
栃木県文化協会が昭和53年10月31日に発行した「栃木の街道」の「日光例幣使街道・富田宿」の中で、≪富田宿右手に薬師堂が有るが、ここが富田宿の入口で、往還には木戸が有った。≫と記しています。  (「巴波川日記:So-netブログ」より)]

[例幣使街道開通以前から宿場機能を備えていた富田宿だが、幕府から正式に伝馬宿として指定されたのは少し遅れた正保3年(1646)であった。 その後、新町・上町・中町・荒町・下町 の5町までに発展したが、今は往時の面影を僅かに残す静かな町並みとなってしまった。
往時の面影少ない富田宿だが、富田交差点を左に曲がったすぐのところに「富田宿本陣跡碑」が建てられている。本陣を務めていたのは和久井家であった。  (「例幣使街道富田宿」より)]

2013年5月画像 – カメラ北東方向門右柱前に富田宿本陣跡碑が設置されていました。