慈覚大師誕生地

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慈覚大師誕生地
[出生
794年(延暦13年)下野国の景勝の地、安蘇山の裾野わきの湖畔 東山道の橋立、みかもノ山の越奈良沼の須(美加保の関、みかもの崎)に豪族壬生氏(壬生君:毛野氏の一族)の壬生首麻呂の子として生まれる。兄の秋主からは儒学を勧められるが早くから仏教に心を寄せ、9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智鑑真の直弟子道忠の弟子であるが、道忠は早くから最澄の理解者であって、多くの弟子を最澄に師事させている。
※生誕地については
美加保ノ関(藤岡町三鴨の都賀字館
手洗窪(岩舟町下津原)
壬生寺(壬生町)
などの説があり、順徳天皇撰による「八雲御抄」では、「みかほの関」「みかほノ山」での誕生が記されている。  (wikipedia・円仁より)]

[当山の北500mに慈覚大師の誕生地があります。雑木林を背にして古い小堂、石造多宝塔、明治40年に建てられた霊跡碑があり、碑文は真宗講師の南條文雄文学博士の揮毫。一帯が町指定史跡となっています。堂の前にある古池が昔は井戸で、この水で大師が産湯を使ったと伝えられています。そのため古くはこの付近を【たらいくぼ】と称していましたが、いつ頃からか【手洗窪(てあらいくぼ)】と呼ばれるようになりました。現在でも地元の人々はお寺の周辺を【たらいくぼ】と呼んで大師が育ったころと同じ呼び名を使っています。
慈覚大師を研究されている方は沢山おられ、多くの方が当寺に来山していますが、 中でもとても印象深くまた、その熱心な研究に感銘を受けた方としてライシャワー元米駐日大使がいます。慈覚大師の研究で博士号を授与されたライシャワー博士は駐日大使だった昭和33年(1958年)3月誕生地を訪れ、慈覚大師を「世界的偉人」と称えました。その後昭和56年(1971年)誕生地に石碑を建立するにあたり、「世界史的偉人慈覚大師誕生の地」という碑文を寄せられました。また、色紙にこの碑文の原文とライシャワー博士がスケッチした誕生地の絵が残されております。
この北3kmほどの所、字上岡には大師の母、実相院尼が住んだという実相院跡があり、墓塔も残っています。  (「慈覚大師の足跡 | みかも山 高平寺 ~慈覚大師円仁が9歳まで養育された …」より)]

(Google Earth-Photo)

カメラ西方向が手洗窪の慈覚大師誕生地と言われる場所でお堂が見えます。