櫻井肥料店(国指定登録文化財)

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櫻井肥料店(国指定登録文化財)
[栃木県
明治/1868-1911
木造2階建、瓦葺、建築面積80㎡
1棟
栃木県栃木市万町15-17
登録年月日:20040217
登録有形文化財(建造物)
例幣使街道に東面して建つ。間口桁行7間半梁間3間,切妻造・桟瓦葺平入の2階建大型町家で,前面に半間の下屋を設ける。南寄りに1間幅の通路をとり,その南側を板敷物置,北側をミセとする。南面のみ漆喰塗とし,1階に煉瓦造袖壁を建てるのも特徴。  (「櫻井肥料店店舗 文化遺産オンライン」より)]

[栃木の特産物であった麻や干瓢、また、米も栃木町に集められた。栃木町からは肥料、塩等をはじめ、江戸から送られてくる諸商品、銚子方面から入ってくる塩ものや、干ものの魚に至るまで供給されることになるため、栃木町には肥料商をはじめ様々な商人が発生した。
旧日光例幣使街道沿いには現在も4軒の肥料商があり、肥料等の販売を行っている。
繁忙期になると、肥料袋や農薬袋が高く積み上げられ、それらは栃木市内及び周辺市町の農家等に配達される。
また、栃木町の大家には専属の 頭(大工・鳶)がいた。頭は出入りの家を旦那場と呼び、祝儀・不祝儀にはその家の屋号を白く染め抜いた半纏を着て辻々に立っての案内、諸雑事に働き、正月の松飾り、井戸ざらい、小修理をはじめあらゆる力仕事や下仕事を引き受けていた。現在も、肥料商のいくつかは、頭の出入りが行われている。
「櫻井肥料店」は旧日光例幣使街道の西側にあり、江戸時代の栃木町の北端に位置し、すぐ脇には栃木町の北の関門となる木戸が設けられていた。櫻井家は河内国大阪府東部)桜井の出身で、江戸時代前期の寛永時代頃(1630 年前後)に下野国(栃木県)に移り住み、大平町を経て現在地に居を構えたと伝えられている。代々油商を営み、やがて肥料も扱うようになり、明治 40 年(1907)発行の『栃木県営業便覧』にも「製油各種肥料食塩度量衡石油 櫻井源右衛門」と記されている。すでに江戸末期から栃木を代表する有力商人として知られていたが、十六代目の源四郎は、明治 26 年(1893)県内初の商業会議所の設立に関与し、その後は栃木町長も務めている。
現存する町屋(店舗)と主屋、文庫蔵、煉瓦蔵の正確な建設時期は分かっていないが、同家には、大正元年(1912)11 月に作成された家相図と、その検討図と思われる改正家相図が残されており、いずれも現存する建物を描いていることから、少なくとも大正元年(1912)以前の建設であることが分かる。また、いずれの建物も平成 16 年(2004)、登録有形文化財に登録されている。  (「栃木市の維持向上すべき歴史的風致 第2章 – 栃木市(櫻井肥料店p-83)」より)]

Sakurai Fertilizer Store – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が櫻井肥料店(国指定登録文化財)です。