マーカーは栗花落の井です。
栗花落の井
[「栗花落(つゆ)」伝説
丹生山田の住人、矢田部郡司(やたべこおりのつかさ)の山田左衛門尉真勝(さえもんのじょうさねかつ)は、淳仁(じゅんにん)天皇に仕えていたが、左大臣藤原豊成の次女白瀧姫を見初め、やみ難い恋慕の情に苦しんだ。真勝の素朴で真面目な人柄に感心された天皇は自ら仲立をして夫婦にされたので、真勝は喜んで姫を山田へ連れ帰ったという。才色優れた白瀧姫と真勝との幸福な生活は、結婚後三年にして男の子一人を残して姫は亡くなってしまった。真勝はその邸内に弁財天の社を建て姫を祀った。毎年五月、栗の花の落ちる頃、社の前の池に清水が湧き出て、旱天(ひでり)でも水の絶えることがなかったという。それにより姓を「栗花落(つゆ)」と改め、池を「栗花落(つゆ)の井」と名付けたという。
真勝から白瀧姫へ送った恋歌
『水無月の 稲葉の末もこかるるに
山田に落ちよ 白瀧の水』
白瀧姫から真勝への返歌
『雲たにも かからぬ峰の白瀧を
さのみな恋ひそ 山田をの子よ』
神戸市北区役所
山田民俗文化保存会 (栗花落の井 – Google Map 画像より)]
山田の里案内図(巡って学ぼう! 山田の里の歴史と伝説より)
「摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「11巻45・丹生山田鷲尾故屋栗花落氏」
「11巻50・白滝弁財天祠栗花落井」
[挿絵の全体図。四角い井戸から湧き出る水を旅人が見ている。本文には、「栗花落井(つゆい):常に水なし。例年五月入梅の節、栗の花落つるを期とし、この地より清泉湧き出づるゆえに、栗花落(つゆ)を家人の氏とす。」とあり、栗花落(つゆ)氏の名字の起源となる井戸である。
ちなみに挿絵には、爾雅(じが:中国最古の語釈辞典)」曰く「四、五月梅黄ばみ落ちんと欲するとき、すなわち水潤い、土溽(つちうるお)い、柱礎皆汚れ、燕鬱して雨を成す。これを梅雨と謂う」丹生山田原村栗花落(つゆ)氏の前栽に入梅穴あり。水脈かよいてここに涌出するは風土の奇というべし。京師長者町の西、泉町にもあり、とある。 (「摂津名所図会・挿絵の旅、栗落花井 – 神戸・昼から散歩」より)]
栗花落の井進入路案内標識前のカメラです。