マーカーは今西家住宅です。
今井町平面図・wikipedia-photo
1.今西家、2.豊田家、3.中橋家、4.上田家、5.音村家、6.旧米谷家、7.河合家、8.高木家、A.八幡神社、B.順明寺、C.蓮妙寺、D.西光寺、E.春日神社、F.称念寺、W.西町、S.南町、N.北町、O.東町、I.今町、Ne.新町
今西家住宅
[今西家の姓氏は磯城縣主に系譜する十市氏で、廣瀬大社曾禰連樋口家の婿養子となり河合城を築き名字を河合とした。1566年(永禄9年)2月、十市遠勝が筒井順慶に圧迫されて今井へ亡命した後を追って、河合清長は十市衆の一族郎党を引き連れて当地に移住し、1575年(天正3年)に織田信長軍と戦ったが敗れた。信長から赦免され自治権を認められて裁判を執り行った。1621年(元和7年)5月、郡山城主松平下総守忠明から大坂夏の陣の功績を称えられ、今井町の西口を守ったことから今西を名乗るように薦められた。その後、建物は1650年(慶安3年)に建て替えられ、内部の土間にはお白州があり、拷問部屋のいぶし牢が残っており陣屋として使われた。1679年(延宝7年)、今井は天領に組み入れられ、三惣年寄の筆頭になり領主・代官の町方支配の一翼を担った。戦国時代の構造様式を残す建造物で、別名「八つ棟」(やつむね)または「八つ棟造り」と呼ばれている。日本建築史上貴重な建物の1つであり、納戸の帳台構えは日本最古で「民家の法隆寺」と言われる。月曜日休館。1957年(昭和32年)6月18日重文指定(附・棟札1枚)。
今西家住宅・wikipedia-phorto
(wikipedia・今井町より)]
[今西家住宅(いまにしけじゅうたく)は、奈良県橿原市の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている今井町にある歴史的建造物で、公益財団法人十市県主今西家保存会により保存維持管理されている。東京大学工学部建築学科による町屋調査を経て、昭和32年(1957年)6月18日に国の重要文化財に指定され、慶安3年3月22日の記がある棟札が重要文化財の附(つけたり)指定とされた。その後文化財保護法により根本修理に着手することとなり、奈良県教育委員会が今西家から委託を受けて昭和36年3月に起工し、同37年10月に竣工した。
今西家住宅(西側)・wikpedia-photo
今西家の東側外壁と軒裏を覆う防火性をもつ漆喰塗り(外部白漆喰塗)・wikipedia-photo
『土間を入口側から見る。右側手前が「しもみせ」、左側手前が「みせのま」、「みせのま」の奥に「みせおく」がある(この写真ではみえない)。左側中央に大きな「しきだい(式台)」が見える。また、見上げた低い天井の上階には「つし(厨子)」がある。』・wikipedia-photo
「1階の土間から座敷側を見る。画面左手が入口、部屋は左が「みせのま」、中央が「なかのま」、右が「だいどころ」。梁や柱を現しにして仕上げた真壁がみえる。」・wikipedia-photo
上段框と納戸の帳台構え・wikipedia-photo
2階床の間座敷・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、今西家住宅の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・今西家住宅より)]]
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