入鹿神社

マーカーは入鹿神社です。

入鹿神社
[入鹿神社(いるかじんじゃ)は、奈良県橿原市小綱町(しょうこちょう)にある神社である。蘇我入鹿スサノオを祀る。スサノオは明治時代より祀られたものである。
蘇我入鹿の木造坐像を神体とする。現在の橿原市周辺は蘇我氏ゆかりの地であり、「蘇我」、「曽我」といった地名も残る。小綱町の隣の曽我町には、蘇我馬子が創建した宗我都比古神社があり、蘇我氏の始祖を祀っている。
明治時代に、皇国史観に基づいて逆臣である蘇我入鹿を神として祀るのは都合が悪いとして、祭神をスサノオに、社名を地名からとった「小綱神社」に改めるように政府から言われたが、地元住民はそれを拒んだという。日本書紀に基づいた「蘇我氏逆臣説」が日本史に通説となっている今に至るまで、地元の人々から崇敬を集めている。
境内には神宮寺としてかつて仏起山普賢寺があり大日如来が祀られていた。神仏分離の際に普賢寺は廃寺となったが、建物と本尊の仏像は残されて成等山正蓮寺の管理となり、「大日堂」という名称で現存している。大日堂および大日如来木像は国の重要文化財になっている。

社殿・wikipedia-photo

  (wikipedia・入鹿神社より)]

[正蓮寺大日堂
[国指定の重要文化財です。建造形式は、桁行三間、梁行三間、一重、寄棟造、本瓦葺
もとは佛起山(ぶっきざん)普賢寺(ふげんじ)と言われていましたが、明治廃仏毀釈により普賢寺が廃絶することとなり、正蓮寺(しょうれんじ)に管理が引き継がれました。
大日堂(だいにちどう)は、文明十年(1478年)の上棟札があり、完成したのは文明十七年ですが、康正二年(1456年)から文明十七年(1485年)の墨書なども発見されており、完成までの間約30年の歳月が要していたと考えられています。これは、おそらく応仁の乱の動乱期の影響とも思われます。室町時代の小規模な仏堂としてはとても貴重です。
本尊の大日如来坐像は、鎌倉時代の作とされ、国の重要文化財に指定されています。  (「橿原市/正蓮寺大日堂」より)]

入鹿神社 – Google Map 画像リンク」、「正蓮寺大日堂 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向境内、右が入鹿神社で左が正蓮寺大日堂です。

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