本薬師寺跡

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本薬師寺跡
[本薬師寺(もとやくしじ)は、奈良県橿原市の東南に位置する藤原京の薬師寺と呼ばれた寺院。後の持統天皇となる皇后の病気平癒を祈って天武天皇が建立を誓願した官寺である。平城京遷都で薬師寺西ノ京に移ると、両寺を区別するために本薬師寺と呼ばれる。また、平城京に造営された薬師寺に対して、藤原京薬師寺とも称される。これまでの発掘調査により、およそ11世紀初頭まで存続していたことが認められている。
現在は、橿原市城殿町の医王院(白鳳山醫王院)の境内に、伽藍遺構のうち金堂の礎石が一部残る。また東塔や西塔の心礎が周囲の水田に残存している。
歴史
●天武天皇9年(680年)11月、天武天皇により発願される。
●天武天皇11年(682年)頃までに着工されたという。
●天武天皇15年、朱鳥元年(686年)に天武天皇が亡くなり、持統天皇が引き継ぐ。
●持統天皇2年(688年)頃までに伽藍が整った。
文武天皇2年(698年)に完成したというが、8世紀まで造営は行われたとされる。
  ●その後、平安時代前期に法成寺に塔が移築されるまで存続が確認できる。
●1952年(昭和27年)特別史跡に指定された。
●1976年(昭和51年)と1990年(平成2年)に発掘調査が行われた。
伽藍
寺域は、藤原京右京八条三坊の全域を占める。伽藍は、薬師寺式伽藍配置であり、中央に金堂があって、その手前に左右対称の東塔と西塔を配しており、その前面(南)にある中門の両側から、回廊が背面(北)の講堂の両側まで取り囲んでいた。金堂・東塔・西塔の基壇や礎石は薬師寺と同じぐらいの規模であるが、発掘調査により中門や回廊の規模および構造が異なることが分かっている。薬師寺と伽藍配置はほぼ同じだが、回廊が複廊の薬師寺に対して本薬師寺は単廊である。ただし、薬師寺の回廊の発掘から、平城京の薬師寺も当初は単廊で造営が進められたことが明らかになっている。そのほか塔初層の裳階(もこし)が吹き放しであったと考えられるなど薬師寺との違いが細部にある。このことから、西ノ京の薬師寺は移築ではなく新築と考えられているが、西塔の状況からそうではないという説もある。
伽藍全景(中央に金堂跡(医王院)、左に西塔跡、右に東塔跡)・wikipedia-photo

本薬師寺伽藍配置図
A. 金堂 B. 東塔 C. 西塔 D. 中門 E. 講堂

金堂の礎石(奥に医王院)・wikipedia-photo

東塔跡・wikipedia-photo

東塔礎石・wikipedia-photo

西塔跡・wikipedia-photo

西塔心礎・wikipedia-photo

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本薬師寺跡 – Google Map 画像リンク

カメラ南南東方向が本薬師寺跡への進入路です。

カメラ西北西方向小山が西塔跡で、カメラ北方向が金堂跡、カメラ東北東方向茂みが東塔跡です。

カメラ東方向茂みが本薬師寺東塔跡です。

本薬師寺東塔跡・礎石のカメラです。

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