マーカーは益田岩船です。
益田岩船
[益田岩船(ますだのいわふね)は奈良県橿原市白橿町にある花崗岩の巨大な石造物。つくられた時期や目的などは不明で、亀石・酒船石などと並ぶ飛鳥の謎の石造物の一つで、その中でも最大のものである。
奈良県橿原市の橿原ニュータウン内、白橿南小学校の西の丘陵(岩船山)の頂上付近にある。岩船山麓から益田岩船に行く際、ロープが張られた箇所がいくつか有り、たどり着くには危険が伴う。かつては岩船から東へ約200メートルの白橿近隣公園内の沼山古墳などからも山の上にある岩船を目視できたが、現在は竹林におおわれ困難である。
東西約11メートル、南北約8メートル、高さ約4.7メートル(北側)の台形状で、東西の側面はほぼ垂直に切り立っている。上部から側面にかけて幅1.6メートルの溝が東西に掘られている。この溝に1辺1.6メートル深さ1.3メートルの方形の穴が、1.4メートルの間隔を開けて二つくり抜かれている。岩の重さは約160トンと推測され、かつては他から運ばれて来たという説もあったが、現在では最初から今の場所にあったと考えられている。また、下部には深さ10センチほどの格子状の溝が彫られているが、表面を平にするための加工法と見られる。
文献などが残っておらず確かなことは不明で、いくつかの説があげられている。
1.益田池の造築を讃えた、弘法大師の書による巨大な石碑の台石
●最も古くからある説で、上にのっていた碑は高取城築造のさいに石垣をつくるための用材として破砕されたという伝説がある。
2.占星術のための天体観測台
●二つの穴に石柱を建て、その上に横柱を渡して星を観測したという説。
3.火葬墳墓
●穴の中に遺骨を入れて石の蓋をするという説。
4.横口式石槨の古墳
●横口式石槨の建造途中で石にひびが入っていることが分り放棄されという説。その後別の石を使って完成したものが、岩船から南西へ500メートルほど行ったところにある牽牛子塚古墳であるという。東側の穴と違って、西側の穴には水がたまらない事からも亀裂が入っている事がわかる。現在では最も有力視されている説だが、決定的な証拠は無い。
益田岩船 西面・wikipedia-photo
益田岩船(西側面と平に仕上げられた南面)・wikipedia-photo
益田岩船 東面・wikipedia-photo
益田岩船 北面・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、益田岩船の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・益田岩船より)]
「大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画」・「益田磐舩」(5-54)
益田岩船への進入路前のカメラです。