藤原京跡

マーカーは藤原京跡朝堂院南門跡です。

藤原京跡
[藤原京(ふじわらきょう)は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市にあった飛鳥時代の都城。日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある。平城京に遷都されるまでの日本の首都とされた。
日本書紀』には新益京と著されている。藤原京の名は、宮が同じく『日本書紀』で藤原宮と呼ばれていることから飛鳥京と同様に近世になって名づけた学術用語である。
史料には、持統天皇4年(690年)に着工し、4年後に飛鳥浄御原宮から宮を遷した(一説に12月6日(694年12月30日)昼前に遷行したとされる)、とある。それまで、天皇ごと、あるいは一代の天皇に数度の遷宮が行われていた慣例から3代の天皇に続けて使用された宮となったことは大きな特徴としてあげられる。この時代は、刑罰規定の律、行政規定の令という日本における古代国家の基本法を、飛鳥浄御原(あすかきよみはら)令、さらに大宝律令で初めて敷いた重要な時期と重なっている。政治機構の拡充とともに壮麗な都城の建設は、国の内外に律令国家の成立を宣するために必要だったと考えられ、この宮を中心に据え条坊を備えた最初の宮都建設となった。
実際の建設は、その後の研究により、すでに天武天皇5年(676年)には開始され(これを倭京と呼ぶ)、宮都が完成したのは遷宮から10年も経った慶雲元年(704年)とも言われ、着工から28年が経過したことになる。以来、宮には持統・文武元明の三代にわたって居住したが、完成から4年後の和銅元年(708年)に元明天皇より遷都の勅が下り、和銅3年(710年)に平城京に遷都された。その翌年の和銅4年(711年)に、宮が焼けたとされている(『扶桑略記』、藤原宮焼亡説参照)。
内裏跡・wikipedia-photo、藤原宮跡の西・wikipedia-photo、発掘調査現場・wikipedia-photo  (wikipedia・藤原京より)]

橿原市/藤原宮跡

藤原宮跡 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向が藤原京跡碑と案内板です。

カメラ位置は藤原京内裏跡です。

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