蘇武之井

マーカーは蘇武之井です。

蘇武之井
[「今井寺内町」の南西に位置する「春日神社」から所々で見られる今井町の「くいちがいの町筋」を通り「今井寺内町」を横切って、正反対の北東へ出ると、朱塗りの「蘇武橋」が「飛鳥川」に架かっています。約1400年前、聖徳太子が太子道を通って、斑鳩宮生駒郡斑鳩町)から橘宮(明日香村)へ通った時に渡った橋です。橋の袂に、聖徳太子が馬を止めて水を飲ませたと伝える「蘇武之井」が今も残っています。また、橋の袂には推定樹齢400年の榎(えのき)が植わり(写真の右)、樹高11m、幹周り4.2mで幹に大きな空洞がありますが、樹勢はいたって旺盛で今でも多くの実を付け、秋に大量の葉を落とします。  (「「大和三山」と「長寿道」の辺り(その12) – 奈良観光」より)]

[歴史ある伝説の地には井戸がつきものですが、江戸時代の景観が今も残る今井町入口にも井戸がありました。
飛鳥川の畔、蘇武橋を渡った所にある蘇武の井。(画像リンク)
道を挟んで向かい側には、景観重要樹木として知られる蘇武橋のエノキが聳えています。北尊坊門跡近くにあるこの井戸からさらに南へ行くと、同じようにまた蘇武之井があります。今井蘇武橋公園として整備された飛鳥川沿いの縦長エリアに蘇武之井が二つ存在しています。
六角形の形をしていますね。(画像リンク)
さすがに今は涸れてしまっているのでしょうか、井桁文様の蓋が被せられていました。
蘇武の井の解説パネル(画像リンク)
『かつて、蘇武井からは良質の水がこんこんと湧き出てき、今井の里の千軒の家々がこの水を毎日汲んでも、またいかなる日照りが続いても、涸れることはなかったという。
庚申の右手に石碑が立ち、「今井ソンボの朝水汲みは桶がもるやら涙やら」と歌の一節が刻まれている。今井蘇武の朝水汲みは、桶から漏れる水と自分の涙で、襦袢や片袖がみな濡れたという意味だそうな。朝水汲みの厳しさが伝わってくるような歌である。
この付近は昔の高市郡遊部郷にあたる地域で、飛鳥川も遊部川といい、蘇武井のある付近は”遊部の岡”とか”あそふ岡”と呼ばれていた。蘇武または尊坊は、”あそぶ”がなまって、”アソブベ”の上・下音アとベを省略した語であるとする説がある。
文明15(1483)年に書かれた聖徳太子伝玉林抄という書物では、「太子斑鳩より蘇武蘇武の橋を渡り、八木の里を経て橘京へ通う」と書かれているそうで、また、聖徳太子が水を飲まれたとも、愛馬の黒駒に水を与えられた井戸とも伝えられている。』  (「今井町の井戸「蘇武之井」 – 奈良の宿大正楼」より)]

蘇武井 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向に蘇武之井のモニュメントがあります。

カメラ北東方向が二つ目の蘇武之井のモニュメントで、その後ろに蘇武の井の解説パネルが設置されています。