武庫川髭の渡し

マーカーは髭の渡し祠 (行者堂)です。

髭の渡し
[武庫川堤防髭の渡し付近
文化財説明板所在地 –  尼崎市常松2丁目468番地先
 江戸時代西国街道武庫川を渡る際、堰堤(ダム)の付近には武庫川の渡しがあり、1909年(明治42)に甲武橋がかかるまで渡しは続けられました。西昆陽村の髭の安兵衛さんの茶屋が近くにあったことから髭の渡しと呼ばれたれたようです。西行きは西昆陽村と常松村が隔月で、東行きは段上・上大市・下大市村が月番でそれぞれ渡しを担当しました。川水が少ないときは歩行渡りや仮橋がかけられたりしましたが、増水時は人足・船渡し・連台による渡しが行われ、船頭6人でも船渡しができないと川留めになりました。現在、行者堂が建てられている東岸河川敷付近に東の渡し場があったと思われます。  (「西国街道・髭の渡し(さいごくかいどう・ひげのわたし) – 尼崎市」より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「8巻16・武庫川おかしの宮小松𦾔蹟

[図会下に武庫川が描かれ、渇水期の情景で仮橋(髭の渡し)が描かれ、左ページ上におかしの宮、小松𦾔蹟が描かれています。]

髭の渡し跡(東岸側) – Google Map 画像リンク

カメラ北方向に髭の渡し祠 (行者堂)と常夜燈が設置されています。