母公堂・女人入山禁止の結界門

マーカーは母公堂です。

母公堂・女人入山禁止の結界門
[大峯山(山上ヶ岳)女人禁制の由来
修験道の聖地・大峯山は、役行者が修行していた時代から女性の入山を禁じる「女人禁制」を続けています。 女人禁制について、大峯山には役行者と母の物語が伝わっています。 役行者の母・白専女(しらとうめ)は修行に励む息子を気遣い、洞川の蛇ノ谷までやって来ました。 山に入ろうとしたところ、大蛇に行く手を阻まれ、洞川の里にとどまりました。 役行者は険しい修行の場である大峯山で母を危険にさらしたくないと考え、庵(母公堂)を建てて母を住まわせ、 さらに、あとを追ってこないようにと、「女人入山禁止の結界門」を建てました。 大峯山は、ときに命を失いかねないほど厳しく、険しい山岳修行の地。大峯山の女人禁制は、役行者の母を思う孝行心の表れなのです。  (「修験道体験 奈良県 天川村 大峯山」より)]

[大峯山寺本堂へは、吉野山からの尾根道もあるが、一般の参拝者は麓の天川村の洞川(どろがわ)から山上ヶ岳を登る。洞川からは徒歩約4時間。登山口の大峯大橋からでも片道約3時間の登山となる」母公堂を過ぎて大峯大橋の先にある「女人結界門」から先は、女人禁制の習慣が今でも守られ、女性の入山は禁止されている。日本各地のかつて女人禁制とされていた他の仏教系の霊場は今日男女の区別なく公開されているが、大峯山寺は現在も女人禁制を守っている。1,300年来の伝統を守るべきだとする意見がある一方で、女人禁制は女性に対する差別であるとして反発する動きもある。
大峯大橋から大峯山寺本堂への登山道は整備され、途中にはいくつかの茶屋が設けられている。大峯大橋から一の瀬茶屋跡、一本松茶屋を経てしばらく行くと、「役行者お助け水」と称する水場がある。そこからさらに行くと洞辻(どろつじ)茶屋があり、ここで吉野山からの大峯奥駈道と合流する。その先にはダラニスケ(ダラスケ)茶屋という、麓の薬店(「陀羅尼助丸」という医薬品を製造販売している)が建てた茶屋が2ヶ所に分かれてある。茶屋はすべて登山道を覆うように建てられており、必ず建物内を通過することになる。その先には「油こぼし」「鐘掛岩」「西の覗き」などと称される鎖場の難所(表の行場)が続く。中でも「西の覗き」と称される行場は著名で、これは絶壁の縁から命綱をつけて身を乗り出し、仏の世界を垣間見ようとするものである。難所にはすべて安全な迂回路が整備されている。「西の覗き」を過ぎると後述の護持院によって運営される5軒の宿坊が建ち並び、その先に本堂が建つ。本堂裏手には鎖もない断崖絶壁で命綱もつけずに修行をする「裏の行場」がある。西の覗きは先達(案内人)によって命綱が支持され、裏の行場は先達の案内なしでの立ち入りが禁止されている。  (wikipedia・大峯山寺より)]

大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画」・「山上嶽の窟道」(7-33)

『大和名所図会』今昔めぐり 35 山上嶽の窟道(巻之六)

母公堂・「従是女人結界」碑前のカメラです。

大峰山 清浄大橋前のカメラです。

「従是女人結界」門前のカメラです。

洞辻(どろつじ)茶屋南口のカメラです。

「鐘掛岩」碑前のカメラです。

「西の覗き」からのカメラです。