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毫摂寺
[毫摂寺(ごうしょうじ)は、兵庫県宝塚市小浜にある浄土真宗本願寺派の寺院。小浜御坊とも称され、寺内町として発展した小浜の中心であった。山号は出雲路山。本尊は阿弥陀如来。
本願寺三世覚如に帰依した乗専が丹波国六人部(福知山市)の天台宗寺院を改宗して毫摂寺と称し、京都の今出川に移して覚如の末子・善入が住職となった。
だが今出川の毫摂寺はその後戦乱で荒廃し、やがて越前国山本庄(現在の福井県鯖江市)の證誠寺に寄寓し、後に真宗出雲路派本山毫摂寺となる。
善入の末裔の善秀が明応年間(15世紀末)に小浜庄を開き、この地にも毫摂寺を建立した。
その後寺内町として発達した小浜は、交通の要衝で武将の往来も多く、豊臣秀吉が有馬湯治の際千利休を伴い毫摂寺に宿泊し、茶を点てたという。また、秀吉の養子・秀次も有馬湯治の際に毫摂寺に宿泊し、寺の次女亀姫を見初めて側室(小浜の局)としたが、秀次が失脚・切腹すると、妻子や他の側室とともに亀姫も三条河原で処刑され、毫摂寺も焼き打ちにあう。
江戸時代には小浜は宿場町として復興し、毫摂寺は八本松の名所として知られるようになった。
明治に入り浄土真宗本願寺派に属することとなる。
本堂・wikipedia-photo
(wikipedia・毫摂寺_(宝塚市)より)]
「摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「8巻18・小濱毫摂寺八本松」
毫摂寺山門前のカメラです。