仙台藩蔵屋敷跡(大阪市中央公会堂)

マーカーは大阪市中央公会堂です。

大阪市中央公会堂
[大阪市中央公会堂は、大阪市北区中之島にある集会施設。国の重要文化財
大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、1911年(明治44年)、株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円(父親の遺産50万円に自分の手持ち財産を加えたもの。現在の価値で数十億円)を寄付したことにより、1911年8月に財団法人公会堂建設事務所が設立され、建設計画が始まった。
「北浜の風雲児」と呼ばれていた株式仲買人・相場師の岩本栄之助は渋沢栄一が団長となった1909年(明治42年)の渡米実業団に参加し、アメリカ大都市の公共施設の立派さやアメリカの富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い感銘を受けた。帰国後、岩本栄之助は父の遺産と自分の私財を併せた100万円を地元の公共施設建設に寄付することを決めた。当時、大阪の中之島は、蔵屋敷の廃止後、町が衰退しその後の町の将来ビジョンをどうすべきか検討中であったので、岩本の寄付金はその町の中心シンボルとして「中央公会堂」の建設に使われることに決まった。なお、「中央公会堂」の所在地は浜田藩(?仙台藩)の蔵屋敷跡になる。
設計デザインは、「懸賞付き建築設計競技」(最終的に13名が参加)により、当時29歳だった岡田信一郎のデザイン案が1位に選ばれ、その岡田のデザイン原案に基づいて、辰野金吾片岡安が実施設計を行った。辰野金吾は東京駅の建築家でも知られる。
1913年(大正2年)6月に着工、1918年(大正7年)11月17日に中央公会堂は完成し、オープンする。
一方、株式仲買人の岩本栄之助は第一次大戦による株式相場の大変動で大きな損失を出す。周囲の人々は、大阪市に寄付した100万円を少しでも返してもらうように勧めるが、栄之助は「一度寄付したものを返せというのは大阪商人の恥」としてこれを拒否。1916年(大正5年)10月、中央公会堂の完成を見ないままピストルで自殺した。(享年39歳)
大阪市中央公会堂は日本有数の公会堂建築であり、外観、内装ともに意匠の完成度が高く、日本の近代建築史上重要なものとして2002年(平成14年)12月26日、国の重要文化財に指定された。
その後、大阪市中央公会堂は建物の老朽化が進んだため、1999年(平成11年)3月から2002年(平成14年)9月末まで保存・再生工事が行われる。
2018年11月、大阪市中央公会堂は100周年を迎えた。  (wikipedia・大阪市中央公会堂より)]

㉙仙台藩蔵屋敷跡(大阪市中央公会堂)(「佐賀藩蔵屋敷跡 – O-TUBE」より)

大阪の地図(1686年)(拡大図)

絵地図を右にスクロールすると大川に架かる難波橋の左、中之島に仙台藩蔵屋敷があることになります。
※wikipediaでは大阪の地図は1686年作成となっていますが、絵地図を見ると本町橋東詰に西町奉行所が描かれ、大阪城代・阿部正福(伊勢守・1745年 – 1747年)、京橋口定番・植村恒朝(土佐守・1742年 – 1747年)、玉造口定番・森川俊令(兵部少輔・1745年 – 1749年)の名が見えますので、1745年 – 1747年頃の作成になると思います。マイドームおおさか 敷地の変遷(詳細)では、宝暦8年(1758年)としています。

大阪繪圖 – 国際日本文化研究センター(日文研)」(成立年代-文久3(1863)年)絵図中央左、中之島の先端手前、栴檀木バシ左上に「仙ダイ」と記述されています。

大阪市中央公会堂前のカメラです。