マーカーは「清盛塚石造十三重塔」です。
清盛塚・琵琶塚
[琵琶塚はJR兵庫駅方面から神戸市中央卸売市場に向う国道489号線の北側の、一段小高くなった玉垣の内に清盛塚と並んで建てられています。以下は神戸市教育委員会による琵琶塚の説明です。
『清盛塚と小道を挟んで北西に平面形が琵琶の形をした塚があり、琵琶塚と呼ばれ、江戸時代から琵琶の名手・平経正の墓と信じられていました。平経正は清盛の弟経盛の長男で敦盛の兄にあたります。
明治35年(1902)有志により琵琶塚の碑が建てられましたが、大正時代の道路拡張の際に、清盛塚とともに現在地に移設されました。』
琵琶塚の碑の隣には平清盛の銅像と清盛塚と呼ばれる十三重の石塔が建っています。以下は神戸市教育委員会による「清盛塚石造十三重塔」の説明書きです。
『この石塔は古くから清盛塚と呼ばれ、北条貞時の建立とも伝えられています。当初は現在地より南西11メートルにあり、平清盛の墳墓とも言われていましたが、大正時代の道路拡張に伴う移設の際の調査で、墳墓ではないことが確認され、現在地に移設されました。
石塔は、高さが8.5メートル、初層は一辺145センチメートル、最上層は一辺88センチメートルを測り、基礎部台石東面の両脇に「弘安九」「二月日」の銘があり、弘安9年(1286)に造立されたことがわかります。
石塔の隣には、神戸出身の彫刻家である柳原義達の作になる平清盛像が建てられています。今なお清盛塚は、地域の人々によって敬われ、大切に守られています。』 (「京都御室・仁和寺 〈経正〉 – FC2」より)]
「摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「10巻31・八棟寺旧蹟平相國清盛搭平経政琵琶塚」
[図会右ページに「つね政びわ塚」その左下に「清もり搭」と記述され、「ちん守」右に「八棟寺」と記述されています。左ページにや薬仙寺が描かれていますので、松並木が現在の古湊線に架かる清盛橋になると思われます。]
カメラ北方向に「清盛塚石造十三重塔」と「琵琶塚」があります。
左に「清盛塚石造十三重塔」、右に「琵琶塚」、中央に楊原義達作平清盛像。