温泉寺

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温泉寺
[温泉寺(おんせんじ)は、兵庫県神戸市北区有馬町にある黄檗宗の寺院。山号は有馬山。本尊薬師如来。宗派はもとは真言宗であった。正式名は有馬山温泉禅寺。
縁起によれば、神亀元年(724年)、薬師如来に衰退しかかっていた有馬温泉を復興するように言われた行基によって、有馬温泉郷の傍、六甲山系愛宕山の中腹に薬師如来を本尊として開かれたとされる。
承徳元年(1097年)に有馬を襲った洪水によって温泉寺も壊滅するが、熊野権現のお告げによって有馬温泉を復興した仁西上人によって建久2年(1191年)に再興される。また、温泉寺の下に12の僧坊・宿坊が設けられたが、これは薬師如来の眷属である十二神将に因んでいるとされる。
天正4年(1576年)に火災で全山焼失したが直ちに再建された。その後再び火災にあい、天正18年(1590年)に北政所によって薬師堂が再建されている。江戸時代に焼失すると天明元年(1781年)に現在ある薬師堂が再建された。
しかし明治時代初めの廃仏毀釈で、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が有馬大茶会を開催したとされる阿弥陀堂も含め、真言宗温泉寺は廃寺とされ、薬師堂以外の堂塔は全て取り壊されてしまった。その後、廃寺となった旧温泉寺の奥の院であった黄檗宗清涼院が寺籍を継いで現代に至っている。

鐘楼・wikipedia-photo

本堂・wikipedia-photo

ウィキメディアコモンズには、温泉寺_(神戸市)の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipedia・温泉寺_(神戸市)より)]

入初式
[毎年1月2日には「入初式」が開かれます。
 これは有馬温泉の恩人「行基上人」と「仁西上人」に、新年の初湯に入っていただく行事です。行基上人は奈良時代に「温泉寺」を建てて温泉地の基礎を築きました。仁西上人は自然災害で荒廃したのを鎌倉時代に復興させたのです。
 有馬温泉誌を見ると、江戸中期の1753年にあった入初式の様子が書かれています。当時は僧侶たちが「羅漢講式」という経をあげて、温泉寺にまつられている両上人像に入浴してもらう儀式を執り行います。終了後は宿屋の主人たちが「羅漢振舞」というもてなしをして僧侶たちをねぎらったようです。その献立を見ると、タイやアワビといった山海の珍味があり、いま見ても相当なごちそうです。フナの吸い物にサンショウも使われていました。
 以来、入初式は250年以上続いています。読経やごちそうは簡素化しましたが、両上人像に初湯に入ってもらう儀式は変わりません。終わらないと、一般の人は温泉に入れません。
 2日午前10時、温泉寺で行列の準備が整います。両上人の像をみこしに乗せて出発し、「金の湯」で初湯を受け取り、有馬小学校の文化講堂に向かいます。
 10時半ごろから儀式が始まります。その中の「湯もみ」は、湯女に扮した有馬の芸妓衆が「よいと!」(良い湯)という掛け声とともに、手に持った櫂で高温の湯をかき回して適温にします。その後、両上人の像に入浴していただきます。
 続いて、新米をお客さまに見立てて若松の枝で掃き寄せます。集客を祈願する儀式で、松は正月の縁起物に加えて「お客さまを待つ」の意味があります。
 儀式を終えると、再び行列を組んで温泉寺に戻ります。途中、阪急バス前の大通りで「帰せ! 戻せ!」の儀式が行われます。これは湯女たちが両上人の帰りを惜しむ様子を表したと言われ、「戻せ~」の掛け声で、みこしがあっちに走り、こっちに走り…。観光客も一緒に声をあげて走ります。入初式のもう一つのハイライトです。温泉地の人々と、両上人のつながりの深さを感じてください。
 入初式は神戸市の地域無形民俗文化財に指定される年1回の伝統行事です。百聞は一見に如かず。ぜひご覧にお越しください。そして終了後は、金の湯や銀の湯が開館しますので、初湯をお楽しみください。(有馬温泉観光協会)  (「有馬温泉の恩人に新年の初湯を 1月2日に「入初式」」より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「12巻6・有馬温泉寺

[図会中央左に描かれる薬師が現在の黄檗宗温泉寺(元清涼院)の本堂になります。薬師の左後ろの法恩寺は極楽寺、左の来迎寺は念仏寺の間違えのようです。図会左端に清涼寺と記述されています。]

12巻14・有馬温泉入初正月二日

温泉寺参道前のカメラです。

黄檗宗温泉寺本堂(真言宗温泉寺薬師堂)前のカメラです。