源ケ橋跡(小堀口松屋亭)

マーカーは源ケ橋交差点です。

今昔マップ on the web」で見る、1892~1910年の源ケ橋の位置。源ケ橋は猫間川に架かる橋で、1922~1923年図で源ケ橋の左に河堀口と記述されています。この付近に松屋亭があったと思われます。

[河堀口(こぼれぐち)
 延暦7年(788年)当時の守護職であった和気清麻呂(わけのきよまろ)によって、今のJR寺田町駅の南方、猫間川の辺(此の地点を河掘口と云う。大正14年市に編入されるまで小字名として存続)から着工して、西へ庚申街道から茶臼山の南、河底池に達する洪水対策用の工事が行われました。この工事は未完のまま長く中断されていたが、徳川時代に大和川への転さく工事となって実を結んだ。工事のためこのあたりー帯は湿潤地帯となったが、ホタルの名所となり、シーズンには出店が並んで賑わった。現在、近鉄南大阪線の駅名にその名を残している。
源ケ橋(げんがばし)
 源ケ橋とは、摂津の国の古い橋の名であるが、その橋はすでになくなっている。しかし、天王寺町北3丁目には、市場などの施設の名前の中に、この古橋の遺名を取り入れて、昔を今によみがえらせている。源ケ橋という橋は、それぞれ時代は違うが、古来2つあって初代の橋は、延暦7年(788年)の和気清麻呂(わけのきよまろ)の治水工事のとき堀江に架けられたもので、2代目は、猫間川に架けられていたものである。ともに、河内・大和に達する幹線道路に通じる橋として、交通確保の役割をしていた。  (「阿倍野の地名・町名の由来 – 大阪市」より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」 – 「2巻47・小堀口松屋亭

[『摂津名所図会』の「小堀口、松屋亭」の図には、猫間川と思われる川のほとりに料亭があり、四天王寺にお参りを済ませた参詣人が、精進落としの宴会で酒を飲んで騒いでいる様子が描かれている。参道に面した茶店の前では、客引きが道行く参詣客を呼び込んでいる。川には曲橋が架けられていて、小舟を浮かべているのが見える。  (「天王寺町から桃が池 – 「猫間川源流探検記」 – FC2」より)]

河堀口_(浪花百景)・南粋亭芳雪/画(wikipedia・浪花百景より)

カメラ位置は生野本通商店街入口・源ケ橋交差点で、この付近に源ケ橋があったようです。