玉江橋

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玉江橋
[玉江橋(たまえばし)は、大阪府大阪市堂島川に架かるなにわ筋の橋である。浪速の名橋50選にも選ばれている。
貞享元禄年間に行われた堂島新地の開発に伴って架けられた橋で、架橋当初は堀江橋と称した。しかし、1698年(元禄11年)に堀江新地の開発に伴って堀江川に同名の橋が架橋されたことを受けて改称された経緯がある。
昔は大阪の七不思議の一つとして「玉江橋の南に天王寺さんの五重塔が見える」と言われていた。玉江橋より南東方向に位置する四天王寺がなぜか南に見えると不思議がっているが、堂島川は当橋の上流付近で西から南西へ向きを変え始めるため、当橋は南ではなく南東へ向けて架かっている、という落ちで、古典落語の『鷺とり』に登場する。
福澤諭吉は玉江橋の北詰にあった中津藩蔵屋敷で生まれている。
1885年(明治18年)の淀川大洪水で流失、一度復旧するも1909年(明治42年)のキタの大火(天満焼け)で焼失した。
現在の橋は、上流側の橋が1929年(昭和4年)9月19日に幅員10.9m(6間)で架け替えられた。1969年(昭和44年)に高潮対策によるかさ上げ工事と幅員13.0mへの拡幅工事が行われ、同時に下流側の橋が架橋された。1991年(平成3年)には改装工事が行われ、アルミ製の高欄やタイル舗装、照明灯などが設置された。
幕末に描かれた「玉江橋景」(浪花百景)歌川國員/画(wikipedia-photo)

      (wikipedia・玉江橋_(大阪府)より)]

[堂島川と堂島新地の整備開発に伴い17世紀末に架けられた玉江橋。北に肥後・中津藩蔵屋敷、南に久留米藩蔵屋敷が建ち往来が盛んで、南詰めにある薬師堂の縁日の日は人出も多くありました。橋の南側は、諸藩自慢の名松の枝が川面をおおう秀麗な地でした。
 橋を北から渡ると、反りを持った橋の中央から四天王寺の五重塔が遠望できることが評判で、その風景が好んで画題に取り上げられました。画中の治安維持のため巡回する隊列に幕末に向かう時代の機運が感じ取られます。
 現在は高い建物が多く、とても四天王寺までは見通すことはできません。  (「今週の今昔館(212) 鮹松 20200421」より)]

カメラ位置は玉江橋北詰めで、カメラ北北東方向に中津藩の蔵屋敷がありました。