生國魂神社

マーカーは生國魂神社です。

生國魂神社
[生國魂神社(いくくにたまじんじゃ、新字体:生国魂神社)は、大阪府大阪市天王寺区生玉町にある神社。「いくたまさん」と呼ばれる。
式内社名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、その社地に近接して、明応5年(1496年)には蓮如が大坂御坊(後の大坂本願寺)も建立され繁栄し、天文15年(1546年)には本願寺により大規模な遷宮祭が実施され、本願寺から神官吉田方には太刀500振が贈られている。当社は本願寺の鎮守のような位置付けにあったが、織田信長と本願寺との間で石山合戦が起こると、天正8年(1580年)の兵火で社殿は焼失した。
石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に西成郡西高津村の現在地に遷座されている。
江戸時代には、豊臣秀頼により造営された社殿が慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による兵火で焼失したが、江戸幕府により社殿は再興され、社領300石も安堵された。
摂津名所図会』では、当時の境内の様子や走馬神事の様子などが描かれている。幕末の『浪花百景』にも絵馬堂、弁天池が選ばれている。
弘化2年(1845年)には、社殿の造替がなされた。
1912年(明治45年)1月には「南の大火」により社殿を焼失し、1913年(大正2年)11月に再建された。しかし1945年(昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲により再び焼失した。
1949年(昭和24年)7月に本殿が再建されるも、1950年(昭和25年)9月のジェーン台風で倒壊してしまった。その後、1956年(昭和31年)4月に鉄筋コンクリート造で再建された。境内には蓮池があったが、現在までに埋められて生玉公園となっており、社前から「馬場先」と称される表参道も続いていたが、それも谷町筋の拡張の際に分断されている。
古くからの社殿・神宝は幾多の火災・戦災によって失われたが、現本殿には「生國魂造(いくたまづくり)」と称する桃山時代の独特の建築様式が継承されている。また、7月11日・12日の夏祭など古くからの祭りが現在まで続けられている。
浪花百景に描かれた生玉絵馬堂・wikipedia-photo

     (wikipedia・生國魂神社より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「3巻5・生玉神社」、「3巻6・其二」、「3巻7・五月五日生玉神社流鏑馬

大阪の地図(1686年)(拡大図)

絵地図をスクロールして右下、東横堀川と道頓堀川の直角地右下に生國魂神社が描かれています。

生國魂神社境内鳥居前のカメラです。

生國魂神社拝殿前のカメラです。