千萬院薬師堂(木造十一面観音立像・不動明王)

マーカーは千萬院薬師堂です。

千萬院(木造十一面観音立像)
[奈良県磯城郡田原本町の千萬院にあるこの仏像は、宿院町(奈良市)に工房を構え、宿院仏師と呼ばれた俗人仏師集団の第一世代である源四郎が棟梁となり造立されたものです。生硬な顔つきは源四郎の個性を表わしており、頭部は前後に、体部は左右に材を寄せ、正中線のくるいもなく姿態をまとめています。その技量は、当代の室町彫刻の中でも高い評価が与えられます。
また、宿院仏師の仏像の中では天理市福住の西念寺像享禄 4 年= 1531 年 実清作 源四郎助作 奈良県指定文化財)や広陵町箸尾の大福寺像永禄 3 年= 1560 年 源次作 奈良県指定文化財)と並ぶ等身大の十一面観音像の一つでもあり、町内における重要な中世彫刻の一つとして注目すべきものです。  (「木造十一面観音立像/田原本町」より)]

[千万院と不動明王
 法貴寺は、推古帝の頃聖徳太子により創立され、秦河勝に賜ったもので、その建立は法隆寺より古く、仏法を起こす寺として当初法起寺と命名されたが、後に法貴寺と呼ばれるようになり、寺を中心に栄えたという。かっては七堂伽藍をめぐらし盛大を極めたが、今はこの千万院を残すだけである。
 ここにまつられる不動明王像は、仏法を守護する仏で頭と体を通して一材より掘り出していて、そのつくりはよく洗練されている。平安時代のもので国指定の重要文化財となっている。
          田原本町  (「千万院と不動明王案内板(画像リンク)」より)]

[不動明王立像は、大字法貴寺の千万院に安置されている。高さ79.5センチメートルで、頭体を檜の一材で彫製してから前後に割矧(わりはぎ)、割首するとみられている。また、両手はそれぞれ肩で矧ぐ。像表面には一部彩色が残り、衣部には切金文様を散らす。
法貴寺は、「法起寺」ともいい、聖徳太子が創建し秦河勝に賜ったという。千万院はこの法貴寺の塔頭の子院だった。法貴寺の本坊を実相院といい、中世には法貴寺天満宮(池坐朝霧黄幡比売神社)の別当職を担うなど、在地豪族長谷川党とのつよい結びつきで大きな勢力を誇った。しかし、江戸時代半ばには実相院と千万院の2坊のみとなり、神仏分離で実相院にかわって法貴寺薬師堂を受け継いだのは千万院だけとなった。現在、千万院の僧坊はすでになく、薬師堂を千万院と呼ぶ習わしとなっている。
拝観は、前もって法貴寺自治会長宅まで連絡が必要(団体のみ)  (「千万院の不動明王/田原本町」より)]

千万院 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が千萬院薬師堂で、カメラ南東方向が池坐朝霧黄幡比売神社拝殿になります。

カメラ東方向に案内板があり、カメラ北北東方向が千萬院薬師堂です。