平野氏陣屋跡

マーカーは平野氏陣屋跡碑です。

平野氏陣屋跡
[平野氏陣屋跡は、現在の田原本町役場からその南に、東西約100メートル、南北約300メートルの敷地範囲をもつ。陣屋は、賤ヶ岳の七本槍の一人である平野長泰が拝領した田原本村の地に、その二代目長勝寛永 12 年( 1635 )に着工した。長勝は、当時の田原本で寺内町形成を進めていた浄土真宗教行寺正保四年( 1647 )に著尾へ引払わせ、陣屋を慶安元年( 1648 )に竣工させた。陣屋は、明治 4 年の廃藩置県まで平野氏支配下の行政中枢施設として役割を果たした。
平野氏陣屋跡は、周辺の市街化が進み、水路と路地がその地割りを伝えるのみである。  (「その他 – 平野氏陣屋跡/田原本町」より)]

[平野氏陣屋跡
 この付近は、江戸時代に田原本以下郡内七ヶ村五千石を領した平野氏の陣屋がおかれていた場所である。豊臣秀吉より賤ヶ岳七本槍の一人の軍功を賞された平野権兵衛長泰は、文禄 4 ( 1595 ) 年にこの地を拝領した。長泰は教行寺に寺内町を築かせてその経営を委ねたが、二代目長勝が寛永五 ( 1628 ) 年に入封し、寺内町の東の寺川沿いに陣屋を築造した。支配権を巡る争いの末、教行寺は箸尾へ退去、その跡地に円城寺(現在の浄照寺)と本誓寺が置かれた。
 教行寺により形成された寺内町は陣屋町として引き継がれ、寺川の水運と中街道沿いという好立地から大和中央部の物流拠点として大いに繁栄した。
 陣屋の規模は南北約 350 m 、東西約 120 m で、周囲を濠と土塁で囲んでいた。中央南側に領主平野氏の屋敷及び政庁がおかれ、北半にあたる現在の役場付近には家臣団の屋敷がおかれた。
                 田原本町  (「平野氏陣屋跡碑(画像リンク)」より)]

大和田原本陣屋跡 – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向広場右端に平野氏陣屋跡碑があります。