新町竹村家

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新町竹村家
[竹村家は、古くは河内に居住し、戦国時代の末ごろに八尾新町に移り、それ以来この地の名主として明治維新にいたるまで庄屋をつとめた家柄であると伝えられる。
主要な建物は、東側の道路に対し、出入口を開けた平入の六間取の主屋と、その北側にL字形の妻入の離座敷とからなる。主屋は、本瓦葺切妻屋根(ほんかわらぶききりづまやね)に(ひさし)を付した平屋で、無双窓(むそうまど)・連子窓(れんじまど)で装飾された軒の低い町屋である。離座敷は、棧瓦葺切妻屋根(さんがわらぶききりづまやね)に庇を付した平屋で、西側から北側に縁を廻す。
この離座敷は、昭和 23 年、文化財保護法旧法の重要美術品の指定を受けた。(新法に移行されていない)  (「新町 竹村邸の書院造(文化財保護法旧法指定)/田原本町」より)]

[江戸時代の建築。本瓦葺切妻屋根平屋建、七間取と下店の主屋と、L字形の妻入桟瓦葺切妻屋根庇付平屋建三間取離座敷で主屋及び離座敷の創建は当家の伝承では18世紀初とされ、主屋玄関上部には金峰山正徳 2 年( 1712 )祈祷札もあり、当家の由緒を示すものである。


  (「下ツ道沿線ガイドマップ_2 – ページ4 – 奈良県」より)]

[田原本町の歴史遺産
  江戸時代 新町 竹村家  平成 16 年 12 月 15 日
当、竹村七太郎家は、大和盆地の中央部を南北に貫き、奈良、郡山、吉野、高野山への、又、田原本陣屋町と田原本の商業活動の基点となる今里浜を結ぶ中街道に東面し、室町時代の末頃より名主として、又、江戸時代には庄屋を勤めている。当家の主な建物は、本瓦葺切妻屋根平屋建、七間取と下店の主産と、L字形の妻入桟瓦葺切妻屋根庇付平屋建、三間取離座敷で主屋及び離座敷の創建は当家の伝承では 18 世紀初とされ、主屋玄関上部こは金峰山の正徳二年( 1712 )祈祷札もあり、当家の由緒を示すものである。主屋の創建当初の間取りは八帖二間、六帖二間の四間取、離座敷の創建時は八帖一間、六帖一間の二間取に大式台付の数寄屋風書院造で、主屋及び離座敷共、創建当初の姿を伝え、特にこの奥座敷は昭和 23 年に重要美術品の指定を受けた田原本町の貴重な民家遺構であるが、老朽化が激しく、市町・村田東平家と共に緊急の保存対策が必要である。  (「中街道①: 坂道散歩」 – 画像より)]

カメラ南西方向が新町竹村家です。