白井河原

マーカーは白井河原です。

白井河原
[白井河原では2本の川が合流しています。(画像リンク)
  画面右から左へ流れているのが佐保川。
  画面中央から流れ込んでいるのが勝尾寺川です。(箕面から流れて来ている) 
2本の川はここで合流して茨木川となリ、その後安威川に合流します。
江戸時代には堤がなく、広い河原が広がっていたのだそうです。
茨木市教育委員会編纂の「わがまち茨木」の民話・伝説編には、「白井河原の蛍合戦」の昔話が載っていました。
民話編からの抜粋です。
   白井河原の蛍合戦
   毎年初夏になると、村人は日暮れ頃になると酒肴を持ち寄り、むしろを引いて河原に陣取った。宵闇が暗くなる頃に、遠くからゴオーというかすかな羽音が聞こえ、蛍の集団が近づいてくる。
   やがて東からと西からと蛍の大集団が近づいてきて白井河原の上空で激しくぶつかる。相当数の蛍が流れ星のように落ちる。
   河原で見物する人たちはその壮観さに思わず歓声を挙げて見守っている。
   しばらくして蛍の集団はいずれかに飛び去る。
「蛍のゴオーという羽音が聞こえる」一寸信じられない表現ですが、そんな情景や楽しい風習があったのですね。多分、蛍の交尾の時期に合わせて「蛍狩り」の優雅な遊びがあったのだと思います。  (「白井河原の蛍合戦 | 里山の生活とmy hobby」より)]

[白井河原の蛍合戦(福井村)
 佐保川と勝尾寺川は幣久良山の西麗で合流し、茨木川となり南に流れる。この辺りの河原を白井河原と呼んだ。この河原は毎年初夏になると水辺を求めて蛍が集い、蛍の名所になっていた。村人達は日暮頃になると酒肴を持ち寄り蓆を敷いて河原に陣どり蛍合戦を見物するのであった。宵闇が濃くなる頃、遠くからゴーッというかすかな羽音が聞こえてきて次第に音が近づく。それは飛んでくる蛍の大集団である。東の集団と西の集団はちょうど白井河原の上空でぶつかる。激しいもみ合いが起こり相当数の蛍が流星のように流れに落ちる。暫くして蛍の集団はいずれかに飛び去り、見物の人達も三々五々家路について、あとはせせらぎの音がきこえている。「摂津名所図会」に蛍合戦の記事が書き残されている。
(『わがまち茨木 民話・伝説編』より)

 安威川が竹藪で覆われていた昭和10年頃までは、茨木にも蛍が飛び交っていた。今では想像できないが、何千何万という蛍が空中を飛び交い、蛍合戦をしているように見えたらしい。「摂津名所図会」は、江戸時代の佐保川と勝尾寺川が合流する辺りの河原の蛍狩を伝えている。 元亀2年(1571年)8月の白井河原の合戦では、多くの兵(つわもの)が亡くなり、その亡霊が蛍火となり空中に舞っているのだともいわれていた。  (「わがまち茨木の民話・伝説」より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」- 「6巻20・白井蛍狩

カメラ位置は勝尾寺川(正面)と佐保川(右からの流入)の合流点です。