白髪橋跡(長堀材木浜)

マーカーは白髪橋跡です。

白髪橋跡
[白髪橋(しらがばし)は、かつて存在した<西a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/長堀川">長堀川に架かっていた橋。大阪府大阪市西区新町3丁目にある白髪橋交差点(あみだ池筋長堀通の交点)にあった。
1622年(元和8年)の長堀川開削から1655年(明暦元年)までの間に架設された。 下白髪橋とも言った。1919年(大正8年)4月に大阪市電開通のため架換され、長さ約25間、幅10間の木橋であった。
橋名の由来は、下記のように土佐藩が白髪山から木材を当地へ運んだ説と、新羅船が当地に着岸し、後世にそれが訛って白髪町・白髪橋となった説がある。
土佐の白髪山から切り出した木材を得るため、ここに木材市場を設けたことによりこの名がつけられた。白髪山は高知県長岡郡本山町にある標高1,470メートルの山であり、スギやヒノキの良材を産出する。
摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「5巻24・長堀材木濱

『摂津名所図会』「長堀材木浜」の図。ここに材木市場があったと言われている。  (wikipedia・白髪橋より)]

[大坂の陣の後、大阪は復興のために多くの材木が必要でした。長堀川ができた頃、立売堀川(現在のオリックス劇場の北側辺りを東西に流れる川)では、土佐藩の申請により材木市が始まりましたが、土佐藩が現在の土佐稲荷神社の辺りに蔵屋敷をかまえたため、西長堀川でも材木市が始まりました。西長堀川の材木市場は木津川を通り、土佐高知)をはじめ阿波徳島)や日向宮崎)など全国の材木が集まり年中材木市場(材木浜)が開かれていました。
土佐藩が中心の材木市場は西長堀川の両岸に木材問屋が並び、早朝からせりが始まると昼頃まで魚市場のように早口で激しいやりとりが行なわれました。
長堀と土佐の縁は深く、現在の鰹座橋と玉造橋交差点の間の西長堀川両岸一帯を土佐藩の大坂蔵屋敷が占めていたことで、土佐の輸送船による材木や海産物の陸揚げにより、西長堀川にできた市は「浜」として賑わい、材木浜として繁栄の道を歩みました。現在の白髪橋交差点の「白髪橋」の名前の由来は複数説ありますが、材木の最大産地であった土佐の白髪山の桧を使用して橋を架けたことによりつけられたと言われています。また、鰹座橋交差点の「鰹座橋」は土佐の鰹を扱う問屋が集まったことから命名されたと言われています。
戦時統制で市場が閉鎖されるまで、時代の変化とともに縮小されながらも300年以上の繁栄を極め、戦後も20年ほど材木商が軒を連ねるも大阪南港に市場機能が移され、昭和48年には水質汚染により舟運利用が減少したことで西長堀川は埋め立てとなり、完全に姿を消しました。その数年後、長堀通りの中央分離帯が公園(長堀グリーンプラザ)となりました。
摂津名所図会(江戸時代の観光案内書)には「関西土佐及び日向より諸材をここに積上(つみのぼ)せて朝の市に数千金をあきなう也」と記されています。  (「材木市場発祥の地 – ハイカラ不動産」より)]

里の家芳瀧(中井芳滝)/画 長堀財木市(wikipedia-photo)

大阪の地図(1686年)(拡大図)

絵地図を縦横にスクロールして一番下の横水路が道頓堀で、そこの二つ上、堀中心周囲に四ツ橋がある、横水路が長堀で、長堀左から四本目の橋が白髪橋になります。

カメラ位置はあみだ池筋/長堀通交差点で、カメラ東北東方向に大阪木材市売市場発祥の地碑があります。