真光寺

マーカーは真光寺です。

真光寺
[真光寺(しんこうじ)は神戸市兵庫区にある時宗の仏教寺院。
仁明天皇(833年 – 850年)のころ、恵萼より観世音を持ち帰り、和田岬で船が動かなくなったので、堂を建てて祀ったのが始まりという。
建治2年(1276年)一遍上人がこの観音堂に住して中興開祖となる。
正応2年(1289年)8月23日、一遍上人51歳で遷化。
遊行2世他阿上人が寺を建て、伏見天皇から真光寺の名を賜り、時宗の寺となる。寺伝によると、赤松則村(円心)が境内8町四方、寺領数百を寄進とある。
応安2年(1369年)、第6世尊観法親王が本山鎌倉遊行寺遊行上人となり、以後本山遊行上人の兼帯となる。
慶長年間(1596年 – 1614年)除地の黒印を得、「大道場屋敷分事」として仏堂・僧堂など34とある。
元禄5年(1692年)の届書には大徳院・法林院・慶重院・善長庵・乾寮・竜蔵庵・陽徳院・常徳院・養生庵などの塔頭を記録している。
天明8年(1788年)の記録によれば、塔頭には陽徳院・宝積院・修善院・西北院・聖徳院があった。
1945年(昭和20年)の神戸大空襲で全伽藍を焼失。清盛七弁天の真野弁天は大日堂にあったという。
一遍廟所 兵庫県指定記念物(史跡)(昭和46年4月1日指定)鎌倉時代後期
遺体は敬慕する沙弥教信のように野に捨てて獣に施せとの一遍の遺言であったが、在地の人々の結縁により観音堂前の松の根元で荼毘に付し、廟を設けたという。
山門・wikipedia-photo

本堂・wikipedia-photo

一遍上人五輪塔・wikipedia-photo

ウィキメディアコモンズには、真光寺_(神戸市)の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipedia・真光寺_(神戸市)より)]

和田の笠松歌碑(須佐野公園)
[現地の案内板より「和田の笠松」
和田の笠松は往事須佐の入江の浜に聳え、入港船の目標となり、東西往還の目印の松ともなっていた。鎌倉時代初期の歌人、藤原為家の歌に「秋風の吹き来る峯の村雨に、さして宿かる和田の笠松」と歌われており、古くから 有名な松だった。延寶8年(1680)の「福原びんかがみ」には、絵入りで紹介、元禄4年(1691)の絵図にも真光寺のそばに松の絵が入っている。元文元年(1736)の海道名所図では立派な松が描かれており、寛政10年(1798)の摂津名所図会には絵入りで「古松は枯れて植継ぎなり」とある。
明治20年頃まではこの松の下に稲荷があったが、のち住吉神社の境内に移った。笠松も次々と植え継がれていたが、おしくも戦災により焼失無くなってしまった。
左側の「和田の笠松・笠松の歌碑」は神戸史談会が発会70周年記念事業の一つとして、昭和50年11月9日、小河公園内に建立したものである。今回「兵庫津の道」に面したこの地に移設した。
平成15年11月
神戸市、兵庫津の文化を育てる会  (「481/1000 須佐野公園(神戸市兵庫区)」より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「10巻30・兵庫真光寺和田笠松御崎橋

[逆瀬川橋の側にあり 古松は枯れて 植継ぎなり。 (9巻29・和田笠松)]
[図会左ページに一遍上人搭、開山搭、その右に開山堂、本堂が描かれ、右ページ右下に和田笠松、逆瀬川に架かる御崎橋が描かれています。]

真光寺山門前のカメラです。