磐瀬の杜碑

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磐瀬の杜碑
[神奈備(かむなび)の 磐瀬(いはせ)の杜(もり)の 呼子鳥(よぶことり)
いたくな鳴(な)きそ 我(あ)が恋(こひ)まさる
歌番号 – 巻八-一四一九
作 者 – 鏡王女
現代語訳 – 神奈備の磐瀬の森の呼子鳥よ、そんなにひどく鳴いてくれるな。私の恋心が増すばかりだから。
歌の背景 – 「呼子鳥」はかっこうかといわれています。「磐瀬の杜」は三郷町龍田大社南方の磐瀬の杜とする説のほか、斑鳩町神南の三室山の東、車瀬の森かとする説もあります。鏡王女は舒明天皇(じょめいてんのう)の孫であろうと推定されている人物で、天智天皇に愛された女性です。後に藤原鎌足の嫡室となり。鎌足が重い病気になったときに、興福寺の前身である山階寺を造営したと伝えられています。万葉集には天智天皇と交わした相聞の贈答歌など四首の歌を残しています。  (磐瀬の杜 – Google Map 画像より)]

大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画」・「神南備 三室岸 紅葉川 磐瀬杜」(3-45)

[嵐吹く 三室(みむろ)の山の もみぢ葉は 龍田(たつた)の川の 錦なりけり 能因法師]
[図会中央下に磐せの杜と記述され、その下に紅葉川(龍田川・大和川)、右ページの右に神南備の森が描かれています。]

葛飾北斎-百人一首乳母が絵説
在原業平朝臣(拡大画像リンク)

『千早(ちはや)振(ぶ)る 神代(かみよ)もきかず 竜田川(たつたがは)
から紅(くれなゐ)に 水(みづ)くくるとは』
[神代にすら聞いたことがない。竜田川が紅葉によって水を真っ赤に染め上げているとは。]
[竜田川やその近くにある三室山は、百人一首にも登場している。とくに下流は紅葉の美しさから、歌枕として古来より多くの和歌に詠まれた。百人一首では二首撰ばれている。中でも在原業平の和歌は有名である。この歌を題材とした「千早振る」という落語もよく知られている。なお、この当時の竜田川は現在の竜田川(平群川)ではなく、大和川本流の三郷町立野から大阪府境までを指しているというのが定説。後の時代に紅葉の名所として観光地にするため、地元が現在の平群川を竜田川と称したため、いつのまにか現在のような状態になったと言われている。 (wikipedia・竜田川)

龍田川」(3-46)

凩の立田の紅葉もろとにさそへばさそふ秋の川波」(3-50)

[挿図は、右にある和歌「凩の立田の紅葉もろとにさそへばさそふ秋の川波」の情景を描き出したもので、川岸の木の葉は盛大に色づき、川面には題にあるように凩(こがらし)に散らされたのか、無数の葉がゆらゆらと流れています。これを詠んだ衣笠前内大臣でしょうか、紅葉の木の下で扇をかざして気取った男性がいます。見上げても紅葉、川面を見ても紅葉。これほどの風景、想像しただけでも気取りたくなりますね。その気取りに水を差すようですが、挿図の左上にあるのは「冬がれや大根葉流る龍田川」という和歌。龍田川を流れてくるのは紅葉ではなく、大根の葉っぱ。急に庶民感が増します。実際、紅葉が終わり、本当の冬が来ると、上流では収穫した大根を洗ったり、漬菜にしない葉を切り落としたりしていたのでしょう。鮮やかに染まった季節とは対照的な情景を思い浮かべることができます。挿図に引用されている和歌だけでなく、“龍田川”は古来多くの和歌に詠まれました。『大和名所図会』の本文には、作家・秋里籬島の「愚考」として、「龍田山・龍田川の和歌、二十一代集の内に百二十一首あり。」と記されています。籬島としても、龍田山・龍田川を詠んだ和歌の多さが気になっていたようで、実際にいくつもの和歌集にあたって数えたようです。また、本文に、龍田川は、龍田山の「麓をめぐってながれ、山麗しうして水潔し」と称賛しています。さらに「龍田」という地名についての記述を引くと、むかし、雷神がこの地に落ちて童子となり、ある農夫に育てられました。夏、日照りが続きましたが、この農夫の田にだけ雨が時々注ぎ、秋には豊作を得ました。やがて童子は小龍になって天に帰ったということです。そして「かれが作る田を龍とぞ云ひけるを、やがて所の名とせり。」と解説されています。  (「『大和名所図会』今昔めぐり ⑯凩の立田の紅葉諸共に」より)]

磐瀬の杜碑前のカメラです。