磯良神社

マーカーは磯良神社です。

磯良神社
[磯良神社(いそらじんじゃ)は大阪市茨木市三島丘に鎮座する神社。疣を取るのに神験ありとの信仰から疣水神社(いぼみずじんじゃ)とも呼ばれる。
現在の社地は式内社の新屋坐天照御魂神社の旧境内地の一部で、同社の境内社として奉斎されていたが、 寛文9年(1669年)3月に新屋神社が西北隅に遷座されて分かれた。
昭和54年(1979年)、拝殿を新築。
拝殿・wikipedia-photo

●井保桜 – 『摂津名所図会』に「浪花および近隣より群来りて艶花を賞す」と記された、一重の桜が八重のように見える桜の大樹は昭和2年(1927年)に天然記念物に指定されたが、惜しくも昭和19年(1944年)に枯れてしまった。wikipedia-photo

●疣水 – 『摂津志』に「玉の井」、『摂津名所図会』に「便の水」と記された諸病平癒に霊験あらたかな神水。wikipedia-photo

ウィキメディアコモンズには、磯良神社_(茨木市)の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipedia・磯良神社_(茨木市)より)]

新屋坐天照御魂神社 (西河原・Google Map)
[延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳』に「新屋坐天照御魂神社三座 並名神大 月次新嘗 就中天照御魂神一座預相嘗祭」として記載される式内社名神大社)である。以下の三社が論社とされ、中でも西福井のものが中心的な神社とされる。
新屋坐天照御魂神社 (大阪府茨木市西福井) – 旧郷社
新屋坐天照御魂神社 (大阪府茨木市宿久庄) – 旧村社
新屋坐天照御魂神社 (大阪府茨木市西河原) – 旧村社
上記の3社は互いに関連しており、西福井から宿久庄・西河原に分祀されたものとも、『延喜式神名帳』に「新屋坐天照御魂神社三座」と記載されていることから、それぞれが1座ずつに対応するものともみられている。なお、社名にある「新屋」とは一説には「新野」を意味し、古代における新開拓地の意味であるとされる。
新屋坐天照御魂神社 (西河原)
新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)は、大阪府茨木市西河原にある神社。旧社格は村社。
略称として「新屋神社」とも。
社伝によれば、崇神天皇の御代に創祀されたという(神功皇后の御代に西福井から分祀されたとの説もある)。以降、広大な神域を領する近郷の総社として上下の崇敬を集め殷賑を極めたが、兵乱や太閤検地のために社領を失うなど、天正年間(1573 – 1592)以降次第に衰微したと伝える。また、当初の鎮座地は現在の総持寺であるとの伝えもある(『三島神社名蹟考』所引「三島随筆」)。
かつては磯良神社(疣水神社)(茨木市三島丘)の地に鎮座していたが、寛文9年(1669年)、西北の現在地に遷座され、同12年に社殿が造営された。なお、磯良神社は当社の境内社であったが、同社の玉の井(疣水)が痣取りに霊験があるとして崇敬を集めるようになり、ついに社地を譲り独立させたものである。  (wikipedia・新屋坐天照御魂神社より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」- 「6巻25・嶋下郡西河原村疣水

5巻26・井保桜

磯良神社境内鳥居前のカメラです。

磯良神社拝殿前のカメラです。

境内社・桜姫稲荷神社前のカメラで、カメラ北西方向が磯良神社社殿になります。