天神山町会所(霰天神山)

マーカーは天神山町会所(霰天神山)前です。

天神山町会所(霰天神山)[てんじんやまちょうかいしょ(あられてんじんやま)]
[当町は祇園祭のとき霰天神山を出す町内である。現在,会所家・土蔵・大日堂が建つ。会所家は明治19年(1886)頃の建物で,「町席」と称する10畳の座敷に釣床を設け,玄関には式台を備えて格式を整えている。土蔵は江戸時代後期の造営で中に天神祠を安置している。(画像リンク)  (「京都市指定・登録文化財-建造物」より)]

霰天神山
[霰天神山(あられてんじんやま)/錦小路室町西入ル天神山町。かつて霰が降って大火が鎮まった際に、その霰と共に降ってきた天神像を祀る。雷除け・火除けのお守りを授与し、自らも多くの大火で無傷だった山。お守りを売る時に歌う童歌の元祖の山と言われる。

  (wikipedia・祇園祭より)]

年中行事大成. 巻之1-4 / 速水春暁斎 画図」・「祇園會山鉾引渡図其二」(6-12)

[永正年間(1504~21)京都大火の際,猛火を消した霰と共に降ってきた天神像を祀ったのがこの山の起こりと伝えられています。山の縁起にちなんで宵山には「火防せ(ひぶせ),雷除け」の御守が授与されます。  (「文化史29 祇園祭 山鉾篇 – 京都市」より)]

[鯉山を飾るタペストリーは「B.B」という文字が発見されたことで ブラバンブリュッセル(現在のベルギー)で製作されたことが明らかにり、 ベルギー王室美術歴史博物館により、その図柄はギリシアの詩人ホメロスの叙事詩 「イーリアス」の中の「トロイア戦争物語」の一場面だと調査報告がされています。 1575年から1620年の期間に作られた5枚シリーズの1枚であることもわかっています。
シリーズの内容は下記の通りです。
●「トロイア王子パリスとスパルタ王妃ヘレネ-の出会い」 – 金沢前田育徳会 原型のまま壁掛として現存 
●「トロイア王子へクトールと妃アンドロマケー、息子アスチュアナクスの別れ」 – 長浜曳山祭「鳳凰山」見送幕 / 祇園祭「鶏鉾」見送幕 / 祇園祭「霰天神山」前掛として現存
●「トロイア王プリアモスと王妃ヘカペーの祈り」 – 祇園祭「鯉山」 見送幕 前掛 胴掛 水引 として現存
●「アキレウスのもとにヘクトールの遺体返還を求めるプリアモス王」 – 東京芝増上寺壁掛 明治42年焼失
●「トロイア陥落図」 – 大津祭「月宮殿山」見送幕 / 大津祭「龍門滝山」見送幕 / 祇園祭「白楽天山」前掛として現存  (「京都祇園祭 鯉山町衆 〜室町六角下がる、後祭りの山鉾町〜」より)]

[霰天神山(京都祇園祭) – 京都の観光写真集]

霰天神山の会所飾り(「Google Map 画像」より。)]

カメラ北方向が天神山町会所です。

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