禅昌寺

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禅昌寺
[禅昌寺(ぜんしょうじ)は、神戸市須磨区禅昌寺町にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は神撫山。本尊は十二面観音。
後光厳天皇令により建立された西摂有数の寺院で、延文年間(1356年 – 1361年)月菴宗光開山により創建された寺で、足利幕府寺領36石を寄進し、織田信長荒木村重より諸役免除の沙汰を受けた。天正3年(1580年)豊臣秀吉三木城別所長治攻めの兵火で焼失し、後に桃山御殿から豊国亭を移して方丈として再興。
慶長十九年徳川家康の代に金地院崇伝が、この寺ににった大蔵経を南禅寺に移した。これが今も南禅寺に現存し重要文化財に指定されている。宋版のほか、麗大蔵経の初彫版が多く含まれることで知られる。1879年(明治12年)堂宇を焼失したが、運び出された板絵戸二枚が現存。本堂は、1915年(大正4年)に再建し、内陣正面に奉安されている御本尊は、安阿弥が作った十二面観音で、お顔が十二面ある、たいへん珍しい形式の仏像です。
1983年の山門解体修理中に銘板が見つかっている。

山門・wikipedia-photo

鐘楼・wikipedia-photo

本堂・wikipedia-photo

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摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「11巻5・板宿邑禅昌寺

11巻9・神撫山禅昌寺本尊聖観音解説
[神撫山禅昌寺(じんぷさんぜんしようじ)同村の北、山手にあり。鷹取山と号す。禅宗済家。
本尊聖観音 安阿弥の作。長二尺ばかり。
開基正続大祖禅師 月庵宗光和尚といふ。往昔延文年(1356年-1361年)中の草創なり。
伝へ云ふ、宗光和尚は美濃国の人なり。姓は江氏にて、幼少より峯翁に随身し、一年黄檗山へ登り臨済の宗意を授かり、帰朝の後当山に来たり坐禅する事日あり。時に神入来たつて顔面を撫づる。翌日出峯へ攀登れば、帝釈天の神祠あり。これ霊現ならんと帝釈神撫山と号し浄刹を営む。宗光和尚は、老年但州黒門大明寺に入って康応元年三月二十一日寂す。
方丈画 狩野永徳の筆なり。城州伏見豊太閤の御城よりここに移す。秀吉公、播州三木の城を攻めらるる時、この寺大いに荒廃す。御治世の後、上聞に達し再興の御教書を賜ふ。
鎮守 熊野権現を祭る。一説には神功皇后三韓帰朝の御時ここに至り、石座にあつて巌を撫ぜたまふゆゑ神撫山といふ。ここにこの神を祭る。
木犀 仏殿の前にあり。開基和尚唐土より将来しけるとなり。『呂氏春秋』に日く「桂の一能なり。巌嶺の間に叢生す。これを巌桂と謂ふ。俗に呼びて木犀と為す」。
南方草木状』に日く「江南の桂、八、九月花開く、子無し、これ木犀なり」。
丹楓 大樹にして枝葉繁茂せり。秋の末紅錦のごとし。遠近釆たって目を歓ばしむ。
   本尊は釈迦か阿弥陀か紅葉かな    播磨別府瓢水  (「神撫山禅昌寺 – FC2」より)]

禅昌寺 – Google Map 画像リンク

禅昌寺参道前のカメラです。