秋月藩蔵屋敷跡

マーカーは中之島三井ビルです。

秋月藩蔵屋敷跡
秋月藩黒田藩の支藩で、大坂蔵屋敷も黒田藩蔵屋敷に隣接し、東側は堀川を挟んで、宇和島藩蔵屋敷に隣接していました。堀川には堂島川側に中島橋、土佐堀川側には秋月橋が架かっていました。
大阪繪圖 – 国際日本文化研究センター(日文研)」(成立年代-文久3(1863)年)-絵地図中央左、堂島川に架かる、渡辺バシの右下、「福岡」の上に、「秋月 ウワシマ 大洲」と記述されています。
大坂明細全図 – 国際日本文化研究センター(日文研)」(成立年代-明治15(1882)年)-絵地図中央上、中之島の堀川上に中島橋、下に秋月橋が描かれています。

[中之島は、堂島川と土佐堀川に挟まれた細長い島だ。例えば、土佐堀川で荷物を積んで、地図で真上の堂島川に渡るには、どうするのか?
今ならエンジンが付いた船で簡単に渡れるが、かつては手でこぐのだから、なるべく遡るのは避けた方がいい。そこで土佐堀川と堂島川を繋ぐ中之島を縦貫する水路、堀川=中之島掘割があった。中之島堀割は土佐堀川から堂島堀割に入るための捷路という意味合いが強く,大阪駅の荷揚場廃止とともに埋め立てられ,姿を消した。

     (「今はない川:中之島掘割:秋月橋もうひとつは不明 – 楽天ブログ」より)]

[秋月藩蔵屋敷では、御殿はないがその機能を果たす座敷を有する。接客空間は式台・ 関を経て、「次ノ間」(10畳)、「御座敷弐」(10畳、床・棚付き)で構成されている。居住空間は、2室構成で居間に接して茶室設けられ、日常生活以外に、接客用としても用いられたと推察される。役所空間では、「留守居座敷」の対面に「御勘定住居」があり、ここの式台に面して「座敷」(8畳)や「溜り」が設けられている事から、住居と役所を兼ねていたと考えられる。

    (「大坂蔵屋敷の住居史的研究 – 住総研」より)]

中之島堀川跡前のカメラで、堀川跡地上部は住友中之島ビルになります。

カメラ南南東方向が秋月藩蔵屋敷跡に建つ中之島三井ビルです。