竹本座跡

マーカーは竹本座跡碑です。

竹本座跡
[初代竹本義太夫貞享(じょうきょう)元年(1684)人形浄瑠璃の小屋として開いたものである。近松門左衛門を座付作者として迎えコンビを組み、興行的にも大成功をおさめた。しかし数年で経営を竹田出雲(たけだいずも)にゆずり、義太夫は太夫として専念し、ますます人気を高めることになった。その後義太夫が、そして近松が没したがそれでも出雲の努力で繁盛した。出雲の死後は人形浄瑠璃も衰退し、明和4年(1767)遂に80余年の歴史を閉じた。
 当時は竹本座・中の芝居・角の芝居・角丸の芝居・豊竹座・竹田の芝居と華やかな舞台を競い合った。
 その後は歌舞伎の小屋となり、大西の芝居・筑後(ちくご)の芝居・戎座・浪花座と続き現在に至っている。  (「60.竹本座(たけもとざ)跡 – 大阪市」より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「5巻8・道頓堀芝居側

道頓堀川に架かる右の橋が戎橋、左が太佐衛門橋で、十字路左に角芝居、右に中芝居、筑後と記述されています。筑後が竹本座後継の筑後(ちくご)の芝居になります。

大阪繪圖 – 国際日本文化研究センター(日文研)」(成立年代-文久3(1863)年)絵図中央右、道頓堀川の戎バシの右上に「チクゴ」と記述されています。「チクゴ」が竹本座後継の筑後(ちくご)の芝居になります。

カメラ南方向に竹本座跡碑があります。