総持寺

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総持寺
[総持寺(そうじじ)は、大阪府茨木市総持寺にある高野山真言宗の寺院。山号は補陀洛山(ふだらくさん)。本尊千手観音西国三十三所第22番札所。開基である藤原山蔭四条流庖丁道という新たな庖丁式(料理作法)を定めたことから料理人の信仰を受けている。
当寺の草創説話は、助けた亀の恩返しと観音の霊験に関するもので、寺所蔵の縁起絵巻のほか、『今昔物語集』などにもみえる。
それによると、開基である藤原山蔭の父・藤原高房が、漁師たちが大亀を捕らえているのを見て「今日18日は観音様の縁日だから」と、亀を買い取って川へ逃がしてやった。
その日の夜、山蔭が継母の計略で船から川に落とされてしまった。高房はこれを悲しみ、観音に祈ったところ、高房が助けた亀が山蔭を甲羅に乗せて現れたという。
高房の没後、山蔭が報恩のため観音像を造立し祀ったのが当寺の起源だという。
寺伝では元慶3年(879年)頃、藤原山蔭が創建し、山蔭の三回忌の寛平2年(890年)に伽藍が完成したとする。
寺は天正年間(1573年 – 1593年)に織田信長の兵火にかかって衰亡したが、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼によって本堂が再建され、境内の復興が行われた。

仁王門・wikipedia-photo

大師堂・wikipedia-photo

本堂(茨木市指定有形文化財) – 慶長8年(1603年)に豊臣秀頼による再建。wikipedia-photo

普悲観音堂 – 西国三十三所観音霊場四国八十八箇所のそれぞれの札所の本尊を模した石仏の本尊を祀る。wikipedia-photo

薬師金堂・wikipedia-photo

開山堂・wikipedia-photo

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総持寺境内図(「オープンストリートマップ」より。)

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」- 「6巻30・惣持寺

総持寺仁王門前のカメラです。

総持寺仁王門内のカメラで、カメラ北方向が本堂、本堂左が薬師金堂、カメラ方向左に鐘楼があります。

鐘楼北西方向のカメラです。