茨木神社

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茨木神社
[茨木神社(いばらきじんじゃ)は、大阪府茨木市にある神社。近代社格制度は郷社。境内に式内社の天石門別神社が鎮座する。
大同2年(807年)、坂上田村磨が荊切の里(地名「茨木」の由来)を作った際、今は奥宮となっている天石門別神社が創建されたのに始まると伝えられる。当時は、現在の茨木市宮元町に鎮座していた。天石門別神社の名は、「延喜式神名帳」にも見える。楠木正成茨木城を築くに当たって現在の位置へ遷座し、以後代々城主の崇敬を受けた。
織田信長は統治手段としてキリスト教を保護し、一方で社寺の破壊を行っていたが、天照大御神春日大神天児屋根命)、八幡大神誉田別命)それに信長自身の産土神である牛頭天王素戔嗚尊)だけは、さすがの信長も恐れて破却しなかった。そこで天石門別神社は社名を隠し「牛頭天王社」と号して破却を免れ、また後になって素戔嗚尊を実際に合祀したという。
元和8年(1622年)には牛頭天王(素戔嗚尊)、春日大神(天児屋根命)、八幡大神(誉田別命)を祀る社殿を新たに築いて本殿とし、従来の天石門別神社を奥宮としている。
1872年(明治5年)には郷社に列せられたが、氏子による天石門別神社への社格授与嘆願運動が起こると、1879年(明治12年)に天石門別神社も郷社に列することとなった。これにより一境内に郷社が二社もあるという全国にも珍しい神社となった。翌1880年(明治13年)には幣殿と拝殿が建立されたが、2022年(令和4年)に新しい建物に建て替えられた。

茨木神社大鳥居・wikipedia-photo

茨木神社東鳥居と東門・wikipedia-photo

茨木神社東門(茨木城搦手門を移築したもの)・wikipedia-photo

拝殿(2024年1月5日)・wikipedia-photo

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摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」- 「6巻27・茨木明神社

茨木神社大鳥居前のカメラです。

茨木神社旧拝殿前のカメラです。(2017年6月画像)