マーカーは蓮の池跡案内板です。
蓮の池跡
[当地には昭和初期まで実際に池があり、「蓮の池」「蓮池」と呼ばれていた。これは奈良時代の仏僧行基が農業用につくった溜池だと伝わっている。池は浄土にあるという「八功徳水」を模していることから「蓮の池」と称した。 (wikipedia・蓮池町_(神戸市)より)]
[昭和6年まで、ここには「蓮の池」という四町二反(約4ヘクタール余り)の大きな池がありました。
奈良時代に周辺の田に農業用水を供給する、ため池として作られたもので僧・行基が作ったといういい伝えがあります。
池が完成したとき「蓮の花が美しく咲いているという極楽浄土の池ように、この池にも蓮の花が咲き乱れ、この水で人々が豊かになるように」と願って、
行基は一株の蓮の花を池に投げ入れたといわれます。
やがて池には、その言葉通り蓮の花がたくさん咲き、人々はこの池を「蓮の池」と呼ぶようになったそうです。
「蓮の池」の南には山陽道が通っていたため、「平家物語」「増鏡」「太平記」などの古典に「蓮の池」がたびたび出てきます。
たとえば「平家物語」には平重衡が西へ落ちていくのを、『湊河・かるも河をもうちわたり、蓮の池をば馬手:めて:にみて、駒の林を弓手:ゆんで:に
なし、板屋ど・須磨をもうちすぎて、西へさいてぞ落ちたまふ』と書かれています。
長田区役所 (「平家物語にも登場する蓮の池址<兵庫県神戸市> | 源平史蹟の …」より)]
「摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「11巻11・蓮の池」
[図会右ページに二つのため池が描かれ「蓮の池」と記述され、その下に山陽道が描かれています。その下に源氏松が描かれています。]
「10巻8・源氏松解説」
源氏松(げんじまつ) 駒ヶ林の村中にあり。光源氏須磨に居たまふとき、ここに植ゑ置きたま ひしとぞ。
一名駒替松、あるいは二葉紅、また茶筅松ともいふ。古松は枯れて、今あるは植ゑ継ぎなりとぞ。
いにしへの駒が林の松みれば植ゑし古葉もかはらぎりけり 兼 頼 (「幸殿社」より)]
カメラ位置は西代蓮池公園で、カメラ南南東方向に蓮の池跡があり、モニュメントとして二つの池が造られています。