薩摩藩蔵屋敷跡碑(琉球人難波津着岸)

マーカーは薩摩藩蔵屋敷跡碑です。

薩摩藩蔵屋敷跡碑
[薩摩藩蔵屋敷土佐堀江戸堀の間にあり、現在は三井倉庫大阪支店となっています。琉球使節は、ここで江戸へ行く準備をしました。
(下画)琉球使節を乗せた船が難波津(大阪)に着岸した様子です。瀬戸内海を通過した一行は、大阪で川御座船に乗り換えて淀川を上りました。図には船内で路次楽(ろじらく)を演奏している琉球使節と川岸に集まった見物人が描かれています。  (「大坂(大阪府) [薩摩藩蔵屋敷で江戸への旅の備え] – 琉球使節」より)]

[薩摩藩蔵屋敷は「薩摩藩上屋敷」と呼ばれた。大阪にはこの屋敷のほかに、江戸堀川南岸(現在の西区江戸堀3丁目6−1)と、立売堀川高橋北東詰(現在の西区立売堀5丁目8)に下屋敷がありました。]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「5巻32・琉球人難波津着岸」、「5巻33・琉球人難波津着岸其二

大阪の地図(1686年)(拡大図)

絵地図をスクロールし、中之島の下、土佐堀川に架かる越中橋の下に松平サツマと記述され、そこが薩摩藩蔵屋敷になります。また、この絵図には江之子島と寺嶋との間右の立売堀川の左端にある、高橋の右下に松平大隅守と記述されています。
※wikipediaでは大阪の地図は1686年作成となっていますが、絵地図を見ると本町橋東詰に西町奉行所が描かれ、大阪城代・阿部正福(伊勢守・1745年 – 1747年)、京橋口定番・植村恒朝(土佐守・1742年 – 1747年)、玉造口定番・森川俊令(兵部少輔・1745年 – 1749年)の名が見えますので、1745年 – 1747年頃の作成になると思います。マイドームおおさか 敷地の変遷(詳細)では、宝暦8年(1758年)としています。

大阪繪圖 – 国際日本文化研究センター(日文研)」(成立年代-文久3(1863)年)絵図中央左、堂島川に架かる越中バシの右に「薩摩」と記述され、そこの二区画下に「サツマ中」と記述されています。

カメラ北北西方向に薩摩藩蔵屋敷跡碑があります。

カメラ南西方向に薩摩藩中屋敷跡碑があります。(Google Map)

カメラ位置は立売堀川・高橋跡で、カメラ方向左に薩摩藩下屋敷跡がありました。(Google Map)