西天満神明宮旧跡

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西天満神明宮旧跡
[由緒板から
 社伝を按するに嵯峨天皇の皇子源融公が弘仁十二年(1481)に今の西天満伊勢町辺にありし孤島に勧請し給ひしもの当社の初めなり。
 天照皇大神豊受大神を祀り日本七神明の一なり。
 文治年中(1185年~)源義経梶原景時と逆櫓のことで論ぜし時、風波鎮護の祈願を懸け願書を収む。 後醍醐天皇嘉暦年中(1326年~)勅願所と定められ、屡々行幸ありしと云う。徳川氏に至りても大坂城代両町奉行の交代時には必ず当宮に参拝するを例とせり。
 されば往時は巍々たる大社なれとも足利氏の世に至り、兵火に罹り以後暫時衰運に傾ける折柄天保五年七憑き十一日(1834年)社殿神庫悉く烏有に帰し爾後復興の機会もなく、かかる名社をも遂に其の独立社たるを失はるに至り惜むべし。
 明治四十年(1907年)氏神露天神社合祀せらる。社は西向いて祭るを以て夕日の神明とも称せらる。
                 露天神社宮司 神明会有志一同  (「露天神社 大阪市北区 – 神奈備」より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」- 「4巻29・西天満神明宮

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