造幣局・摂津名所図会(網嶋柏戸)

マーカーは造幣局本局(創設時の門)です。

造幣局
[独立行政法人造幣局は、硬貨の製造、勲章・褒章および金属工芸品等の製造、地金・鉱物の分析および試験、貴金属地金の精製、貴金属製品の品位証明(ホールマーク)などの事業を行う日本の独立行政法人(行政執行法人)。
職員の身分は国家公務員である。なお、紙幣(日本銀行券)の製造は行わず、これは独立行政法人国立印刷局で行われる。
本局は大阪市北区天満に位置し、構内に造幣博物館がある。
1871年の創設時(創設当時の名称は「造幣寮」)以来、工場内および近隣周辺に貨幣鋳造時の余剰発生ガスでガス灯を灯しており、当初は日本初のガス灯による街灯で見物人が多数訪れている。1964年東京オリンピック1972年札幌オリンピック1998年長野オリンピックパラリンピック2020年東京オリンピックパラリンピックの金・銀・銅の各メダル、名古屋城金鯱なども製作され、大阪造幣局とも俗称される。
明治新政府は1868年5月16日(慶応4年4月24日)に旧金座および銀座を接収し、6月11日(慶応4年閏4月21日)に貨幣司を設けて二分金および一分銀などの鋳造を引き継がせている。1869年3月17日(明治2年2月5日)に貨幣司が廃止されて太政官に造幣局が設置され、8月15日(明治2年7月8日)に造幣局は造幣寮へ改称されて大蔵省所属となる。
1877年(明治10年)1月11日に造幣局へ改称される。
大阪本局にはカンザンフゲンゾウなどの遅咲きのヤエザクラを中心に137品種336本(2021年(令和3年)時点)のサクラが植栽されており、日本さくら名所100選に選定されている。毎年4月中旬のヤエザクラの開花時期の7日間に敷地内の一部が花見客に一般公開される「桜の通り抜け」が行われており、多品種のサクラを見ることができる春の伝統行事となっており、夜間照明により日没後も夜桜鑑賞ができる。
大阪市北区の大川沿いに位置する本局は藤堂家大坂屋敷の敷地を明治期に再整備して開業した経緯があり、その際、同家の敷地に植栽されていた桜樹木約120品種、約400本も造幣局へ引き継がれて大川の川岸通りに移植され、造幣局敷地内には1870年(明治3年)以降に新たに桜の若木が並木として植えられた。
1883年(明治16年)に当時の造幣局長遠藤謹助が「役人だけが花見をしていてはいけない」と桜並木の一般公開を始めたのが「桜の通り抜け」の始まりであり「桜の通り抜け」の呼称は1907年(明治40年)頃に定着した。  (wikipedia・造幣局_(日本)より)]

造幣局敷地の大川対岸は大阪市都島区網島町で、「摂津名所図会」に伏見〜八軒家間の三十石船、暁の到着状況が描かれています。大阪城を背景に朝日が昇り、三十石船では旅人が大坂到着に安堵している状況が描かれています。
摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」- 「3巻43・網嶋柏戸

[江戸時代の「東海道」の起終点は、京都の「三条大橋」であったが、その先の大坂に至るルートとしては、陸路の「京街道」とともに、「淀川」を水路として利用した。「淀川」を上り下りし、伏見の京橋などと大坂の八軒家などを結んでいたのが、「三十石船」と呼ばれる客船である。三十石の米が積めることから名が付いたが、船頭4、5人と、約30人の客を乗せることができた。伏見を出る下り船は川の流れを利用したが、上り船は船頭の棹(さお)とともに男たちが綱を引いて「淀川」を遡った。  (「江戸時代、京都と大坂を結ぶ交通の要 ~ 桂・伏見 – 三井住友 ..」より)]

歌川國員/画 あみ嶋風景(wikipedia-photo)

[天満紙屋治兵衛と曽根崎新地紀伊国屋の遊女小春の悲恋を描く近松門左衛門の名作「心中天の網島」で知られる網島は、眼前の大川の清き流れを船が行き交い、東に信貴生駒の山並みを一望できる景勝地で、「摂津名所図会」では「難波最上の名境なるべし」と絶賛され、行楽の人々が繰り出しました。
 東の野田村の漁師が網を干す所だったことからついた地名で、かつては大川・寝屋川・平野川が合流し、たびたび水害を起こしていました。宝永元年(1704)に大和川が付け替えられると地勢が安定し、過書船監視のための番所も置かれました。
 かつては、大川と鯰江川に挟まれていましたが、いまでは鯰江川が埋められ、旧大阪市長公館や藤田美術館が建ちます。藤田美術館明治の実業家、男爵藤田伝三郎の邸宅跡で、明治20年の戦災で邸宅が焼失した後、倉庫の一部を改造して美術館としたものです。  (「今週の今昔館(144) あみ嶋風景 20190101」より)]

造幣局本局(創設時の門)前のカメラです。

「桜の通り抜け」のストリートビューです。