マーカーは金の湯です。
金の湯
[●有馬本温泉 金の湯
古くから有馬の元湯として、人々に愛されてきた外湯。金泉が楽しめる。浴槽はあつ湯とぬる湯を用意。明治16年以前は「一の湯、二の湯」と呼ばれた。
住所:兵庫県神戸市北区有馬町833
Tel:078-904-0680
営業時間:8:00~22:00(最終入館~21:30)
定休日:第2・4火曜(祝日の場合営業翌日休)、元日
料金:650円 (「「有馬温泉」日本書紀にも記された600万年以上の歴史を持つ …」より)]
「有馬温泉を代表する日帰り温泉 | 金の湯 | 銀の湯 | 太閤の湯殿館ホームページ」
「摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「12巻11・有馬温泉」「12巻8より・有馬温泉説明」
[図会右ページ下に天神(有馬天神社)、左ページ上にあたご(愛宕山公園)と記述されていますので、有馬温泉を北東から南西方向に描かれていると思いますが、右ページの「一の湯」、「二の湯」に位置関係が逆に思えます。図会「一の湯」前の道が有馬本街道(湯本坂)になり、左端に「うわなり湯」と記述されています。]
[むかしむかし、ある人妻が夫に愛人がいるのを突き止めて、愛人を殺し自分も深い温泉に身を沈めました。その後、美しい女性がこの温泉のそばに立つと、湯が激しく煮えくりかえるようになったため、これを「妬湯(うわなりゆ)」と呼ぶようになり、そこに妬神社が建てられました。伝説の湯は今では涸れていて、その裏手に新しい泉源が掘られていますが、妬神社の赤鳥居は現在も残っています。 (「妬湯(うわなりゆ)|【公式】神戸有馬温泉 元湯龍泉閣 …」より)]
「12巻29・有馬温泉幕湯図」
[兵衛と書かれたちょうちんを手に持つ番頭さん
内湯がなかった時代、湯口は1箇所のみ。南向きを「一の湯」北向きを「二の湯」と分かれ、宿が所属する湯槽に入る決まりでした。
二の湯に所属する兵衛は、二の湯の真ん前にあり、二の湯の浴槽内の灯りを献じ、各旅館に泊まった湯治客は、 宿の幕を張りめぐらし入浴したということです。(幕湯=貸切)
宿は老若の湯女(かか湯女、小湯女)を抱え、 入浴が混雑しないように整理したり身の回りの世話をしたということです。兵衛の小湯女の名は、代々「みや」と決まっていました。 帯を前に結んでいるのが湯女です。
「兵衛にはちらずしほれぬ花のみや」
1月2日の入初式の儀式は有馬の芸妓さんが湯女に扮し昔の作法を今に伝えています。 (「兵衛700年の歩み | 有馬温泉の老舗旅館 – 兵衛向陽閣」より)]
有馬郡湯本町之図(「江戸中期の温泉旅行案内 ―東京国立博物館蔵古地図より」より)]
[地図中央左に「一ノ湯」、「二ノ湯」が描かれ「二ノ湯」に「兵エ」、本湯左に「御所ノ坊」と記述されています。]
カメラ南東方向が金の湯で、左の道が有馬本街道(湯本坂)、右の道が温泉寺参道口方向になり、道路位置は変更があるようで、江戸時代は道路周辺が「御所ノ坊」になると思います。
カメラ位置は金の湯北東角で、カメラ北北西方向角(ひだまり)が江戸時代「兵衛」があった場所になると思います。
有馬郡湯本町之図の「一ノ湯」右下の二又道のカメラになります。