金津山古墳

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金津山古墳
[金津山古墳(かなつやまこふん)は、兵庫県芦屋市春日町にある古墳。形態は前方後円墳帆立貝形前方後円墳)。芦屋市指定史跡に指定されている。
阪神打出駅から北東へ約100メートル付近の住宅街、標高9〜10メートルに位置する。芦屋市南東部、六甲山地から大阪湾へかけての翠ヶ丘丘陵上に立地する大型墳の一つ。
古墳時代中期後半(5世紀後半)に築造された。 墳丘は、前方部が通常の前方後円墳より短い帆立貝形前方後円墳である。前方部は鎌倉時代室町時代に耕作地開発によって削られ、現在は高さ約4.4メートルの後円部のみが円墳状に残っている。 これまでに実施された発掘調査では、後円部の墳頂に埋葬施設の粘土槨の存在が確認されている。また、墳丘をめぐる周濠跡からは多数の埴輪片や葺石が出土している。墳丘の北西側では、珍しい二重周濠が見つかっている。
また、この古墳には金塚・黄金塚・金津丘といった別称があり、これらの由来にまつわる次のような伝説がある。 昔、打出に平安時代の皇族、阿保親王の別荘があった。親王は村人たちを深く愛しており、そこに金瓦一万枚、黄金一千枚を埋めて村人の飢餓に備えた。
金津山古墳・wikipedia-photo

  (wikipedia・金津山古墳より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「9巻28・打出濱安保親王墳金津山親王寺

[図会左ページ中央に安保親王墳金津山が描かれ、古墳下の道は西国街道になります。]

カメラ北東方向が金津山古墳になります。