金熊寺・信達神社

マーカーは金熊寺です。

金熊寺
[金熊寺(きんゆうじ)は、大阪府泉南市にある真言宗御室派の寺院。宗教法人名は観音院。
天武天皇10年(682年)、役行者が夢のお告げにより、土中より金銅像を得て、自らも木像を刻し、堂を建立して安置したのを起源とする。
寺名は役行者が金峯熊野の両神を勧請し、当寺の鎮守として信達神社に合祀したことにちなむ。
正安元年(1299年)には永仁の徳政令の煽りを受けて焼き討ちに遭い、諸堂が罹災したが、本尊と薬師堂は焼失から免れたという。
応長2年(1312年)、延元3年(1338年)の修復を重ね、元に近い姿に戻された。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉根来攻めの兵火に遭ったが、信達村の人々によって承応2年(1654年)に再興され、現在に至る。
金熊寺は多くの堂、塔頭を総称する一山であったが、現在は塔頭観音院のみが残り、金熊寺の寺跡を継いでいる。
梅林
金熊寺は古くから泉州の梅の名所として知られ、隣接する信達神社とともに大阪みどりの百選に選定されている。
延宝2年(1647年)、信達神社神主・矢野氏に「この地に梅樹を植えると神領益々隆盛となる」のお告げがあり、矢野氏一族及び土地の人々の手によって栽培された。  (wikipedia・金熊寺より)]

信達神社
[信達神社(しんだちじんじゃ)は、大阪府泉南市信達字金熊寺(日根郡金熊寺村)にある神社。隣接する一乗山金熊寺とともに大阪みどりの百選に選定されている。
樽井の海岸に神武天皇の像が漂着し、里人が引き上げて、樽井の地に祀ったのが起源とされる。
天武天皇10年(682年)、役行者が金峯・熊野の両神を勧請し本殿に合祀されたもので、古くは金熊寺大権現宮と称し、金熊寺の鎮守社であった。
天正年間(1572年 – 1592年)に織田信長、豊臣秀吉の根来攻めの兵火に遭い、社殿が焼失。
この地の豪族で金熊寺大権現宮の神主であった矢野和泉守家次の尽力により、正保4年(1647年)に本殿を再建。
明治元年(1868年)の神仏分離令により、金熊寺から分離独立し、「信達神社」となった。  (wikipedia・信達神社より)]

和泉名所図会. 巻之1-4 / 秋里籬嶌 [著] ; 竹原信繁 画」 – 「金熊寺(4巻28)

カメラ西南西方向が金熊寺で、カメラ北西方向が信達神社参道になります。