山崎城跡

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山崎城
[山崎城(やまざきじょう)は、京都府乙訓郡大山崎町字大山崎にあった山城。山崎の戦い後、大坂城が築城するまで豊臣秀吉が本拠地としていた。別名「天王山宝寺城」や「天王山城」とも呼ばれている。山崎城がある天王山(標高270.4m)は淀川を挟んで男山があり、宇治川木津川桂川の合流するところで、山城国摂津国の国境にある。山麓には西国街道があり、河川を含め軍事、経済、交通の要所である。京都への圧力と、防備、外圧を防ぐ両面を持った地で、古来より何度か戦場となっている。
天正10年(1582年)6月、本能寺の変後、中国大返し中国地方から畿内へ引き返してきた羽柴秀吉神戸信孝連合軍の侵攻に備えるため、男山城と山崎城に陣取った明智光秀軍であったが、何故か淀古城勝竜寺城へ一時撤退した。翌日羽柴軍が山崎城に陣取ったため優勢となり、光秀は逃亡、討死する結果となった。

天王山山頂の標札・wikipedia-photo

本丸跡・wikipedia-photo

本丸への虎口跡・wikipedia-photo、枡形虎口の例・wikipedia-photo、本丸南下への曲輪跡・wikipedia-photo、井戸跡・wikipedia-photo  (wikipedia・山崎城_(山城国)より)]

都林泉名勝図会」・「巻之五 山崎城解説

山崎城跡 – Google Map 画像リンク

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