松花堂(八幡市立松花堂庭園・美術館)

マーカーは松花堂庭園です。

関連リンク – 松花堂旧地

松花堂
[松花堂(しょうかどう)は、江戸時代初期の僧侶(石清水八幡宮社僧)で文化人であった松花堂昭乗がその晩年の寛永14年(1637年)に構えた草庵の名称である。現在の京都府八幡市、石清水八幡宮のある男山の東麓に泉坊という宿坊があり、その中にこの草庵があった。
男山には石清水八幡宮に所属する宿坊が多数建っており「男山四十八坊」とも呼ばれたが、明治初年の神仏分離で宿坊はすべて撤去され、松花堂も旧所在地の南方に移築。現在は「松花堂庭園・美術館」という文化施設となっており、財団法人やわた市民文化事業団が管理運営している。現・松花堂は、移転前の旧地とともに「松花堂及びその跡」の名称で国の史跡に指定されている。

玄関・wikipedia-photo

松花堂庭園・wikipedia-photo

内園(草庵茶室「松花堂」前庭)・wikipedia-photo

外園・wikipedia-photo

茶室竹隠・wikipedia-photo

  (wikipedia・松花堂より)]

[松花堂庭園の北側にある茶室「松花堂」は、寛永14年(1637)、松花堂昭乗が泉坊の傍につくった草堂を再現したものであり、茶室と住居、持仏堂を兼ねた珍しい建物である。この草堂は、床、袋棚、仏壇を備えた二畳の間に土間、かまど、半畳の水屋をあしらい、これを方一丈のなかに収めている。天井は、土佐光武筆と伝えられる日輪と一対の鳳凰を描いた網代地で覆っている。草堂に起居し、点茶三昧に到達した昭乗の茶道の精神は、実にこの「松花堂」によって象徴されている。
庭園は、泉坊の庭園を東車塚古墳の上に復元したもので、松花堂昭乗自らの手による造園といわれている。庭の中心部は、古墳の前方部の平坦なところを利用して作られており、灯篭や立ち木を除いて空間を作り、地に這う潅木と巧みな飛び石の配置、それを埋める苔によって平面の美が構成されている。ただ一本、老松が臥龍のように枝を延ばしているが、これらは旭の美を鑑賞し、その美を強調する意図が秘められている。雄大な旭の美を借景にとらえようとする昭乗の豪快な気風の一端を偲ぶことができる。
松花堂茶室は府指定文化財、松花堂書院は府登録文化財、また松花堂及びその跡は国指定史跡となっている。また、松花堂庭園内には、江戸時代の豪商、5代目淀屋个庵(三郎右衛門、通称辰五郎)が愛用した「砧(きぬた)の手水鉢」が書院前に残っている。  (「観光スポット – 一般社団法人 八幡市観光協会」より)]

八幡市立松花堂庭園・美術館ホームページ

会報第58号より-02 松花堂庭園 : Y-rekitan 八幡

松花堂庭園 – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向が松花堂表玄関です。

松花堂美術館前のカメラです。

カメラ位置は草庵「松花堂」前庭園で、カメラ北方向が草庵「松花堂」で、カメラ西方向は泉坊書院になります。

松花堂庭園内のカメラです。

松花堂弁当
[幕の内弁当本膳料理の流れを汲む江戸時代に遡るものであるのに対し、松花堂弁当は懐石料理(茶料理)の流れを汲み昭和になってから誕生した様式であり、歴史は大きく異なる。
「松花堂」の名は、江戸時代初期の石清水八幡宮京都府八幡市)の社僧であった松花堂昭乗(1584年(天正12年) – 1639年(寛永16年))に因むものである。昭乗は、農家が種入れとして使っていた器をヒントにこの形の器を作り、絵具箱や煙草盆として使用していた。
その入れ物が松花堂弁当に発展したのは、それから数百年たってからである。昭和の始め(1933年(昭和8年))頃とされている)、貴志家の大阪(桜宮)邸内の茶室「松花堂」で茶事が催された折、後年、日本屈指の名料亭「吉兆」の創始者となる湯木貞一に、この器で茶懐石の弁当をつくるようにと命じたのがはじまりである(昭和8年「西田幾多郎日記」 太田喜二郎「絵茶會記」より)。 その後、毎日新聞が<吉兆前菜>として取り上げたことで話題となり、松花堂弁当の名が広まった。  (wikipedia・松花堂弁当より)]

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

*