水月庵

マーカーは水月庵です。

水月庵(すいげつあん)
[水月庵は、男山の南の端の八幡長谷、通称幣原(しでわら)にあります。このあたりは、男山丘陵が来たから緩やかに下り、さらに南へ続くちょうど谷間に位置します。
幣原は、橋本のみ西山地区とともに戦後の食糧難を解消するため、1948年(昭和23年)から約60町歩の開拓が行われました。当初は雑木林の荒れ地と竹藪がほとんどであったために、タケノコを中心に麦、芋類、果実などを生産していました。
やがて、1972年(昭和47年)から始まる男山団地の入居に伴って、その周辺も次第に住宅開発の波に洗われていきました。今は、庵の周囲も竹林に代わって新興住宅が立ち並んでいる。また、水月庵から八幡高校付近にかけては、高地性集落の条件をもつ弥生時代後期の幣原遺跡が分布していました。
庵の門前に設けられている石碑の由緒書によると、元は阿弥陀堂と称し、天明初年(1781年)のころ、越前(現・福井県)から霊宗尼が二人の弟子とともにこの地に来て、円福寺の住職海門禅師について修行しました。やがて、尼僧の禅道場として全国に流布し、盛時には50〜60人ものり雲水が集まったとあります。また、将軍家茂に降嫁した皇女和宮の深い悩みを慮った側女の一人が、彼女の死後、この庵で出家してその菩提を弔ったというエピソードがあります。
側女が賜った和宮愛用の打掛けが寺宝として大切に保管されています。  (「ぶらり八幡23 水月庵」より)]

水月寺 – Google Map 画像リンク

カメラ南南東方向が水月庵山門です。