マーカーは長田神社です。
長田神社
[長田神社(ながたじんじゃ)は、兵庫県神戸市長田区長田町に位置する神社。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣中社。廣田神社・生田神社とともに神功皇后以来の歴史を持つ名社とされる。生田神社・湊川神社とともに神戸を代表する神社の一つ。
『日本書紀』によると、神功皇后摂政元年(201年)2月、神功皇后が三韓征服後、新羅から難波に帰還する途中、武庫の水門(現在の駒ケ林あたりといわれる)で船が進まなくなったので占ったところ、事代主の神より「吾を長田国に祀れ」と神託を受け、創祀されたという。この由緒から、平成13年(2001年)には鎮座1800年を祝った。太古から長田神社と呼ばれていたが、長田社・長田宮・長田大明神・摂津本宮長田大明神とも呼ばれていた。
延喜式神名帳では名神大社、更に祈雨八十五座に列され、社に奉祀する神戸(かんべ)41戸によって護持されていた(『新抄格勅符抄』)。現在まで続く「神戸(こうべ)」の地名は、この神戸職に由来している。
文久2年(1862年)刊行の随筆『雲錦随筆』(暁晴翁(暁鐘成)・著)には長田神社の追儺式神事(鬼追い)についての著述が、鬼の挿絵とともに記載されている。
平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災では本殿こそ倒壊を免れたものの、大きな被害を受けた。参集殿は震災時、避難所となった。氏子以下の寄進等により、平成12年(2000年)夏に復旧した。現在は境内には鳩が放されている。かつては境内には数百の鶏が飼われており、外国人からは「チキンテンプル」と呼ばれていた。その由来から祈願の際には、境内に鶏を奉納したり、鶏の絵馬を捧げる風習があった。そしてかつては氏子は鶏肉や卵を一切食さない、また、婦女の歯を鶏の羽根を用いて染める風習があった。明治時代末期まで55代、約1000年にわたり大中家が代々神職を務めてきた。
本殿・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、長田神社の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・長田神社より)]
「摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「11巻3・長田社」
「11巻10・長田社苅藻川まの池」
[図会右ページ左上に長田社と記述され、その参道右の川は苅藻川で、左ページ下に三つのため池が描かれ「まの池(真野池)」と記述されています。真野池は現在の志里池公園になるようです。]
[神戸市長田区を南北に流れる苅藻川は、長田神社の近くで新湊川と合流し、そこから下流では新湊川と呼ばれています。
でもそれは、1901年(明治34年)に神戸市街地を流れていた新湊川が、No.2690 湊川町9丁目市民公園の地下のトンネルを通って苅藻川に流れ込むように付け替えられてからのことなので、苅藻川にしてみれば120年ほど前に下流部を乗っ取られたような格好です。 (「2754/1000 苅藻公園(神戸市長田区)」より)]
[志里池小学校跡地につくられた志里池公園は、昔は真野池という池でした。世界3大花木の一つジャカランダがあります。 (「長田区の観光 – 神戸市」より)]
長田神社参道前のカメラです。
長田神社鳥居からのカメラです。
長田神社南東鳥居内からのカメラです。
長田神社拝殿前のカメラです。