高代寺

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高代寺
[高代寺(こうだいじ)は大阪府豊能郡豊能町吉川(近世における摂津国能勢郡吉川村)にある真言宗御室派の寺院である。
大同5年/弘仁元年(810年、平安時代前期) – 巡錫中の空海が、当地域が属する高代寺山の山頂近くにて泉を発見し、これを閼伽井とし、薬師如来を祀る草庵を立てたという。
天徳4年7月(960年、平安時代中期) – 源氏の祖である源満仲が、父・経基菩提を弔うため、京都仁和寺寛空僧正開山として、当地に七寶山高代寺薬師院を建立したという。
治暦年間(1065年-1069年中、平安時代後期) – 源頼仲(摂津源氏源頼国の七男)が七寶山高代寺を中興するとともに、当地の吉川城(摂津吉川城)に在住していた折、八幡宮(吉川八幡神社)を創建したという。
中世以降 – 本地垂迹の時代が到来し、八幡神社は、別当寺となった七寶山高代寺の差配下に入る。僧舎三坊の七寶山高代寺は「女人高野」として隆盛する。
元禄年間(1688年-1704年中、江戸時代中期) – 寂れていたところを、第20代秀順和尚によって再興される。高代寺の梵鐘にはその謂れが刻まれている。
寛政8年-10年中(1796年-1798年中) – 『摂津名所図会』が刊行され、巻之十二「有馬郡 能勢郡」(内『能勢郡』)に「吉川 高代寺」名義で七寶山高代寺が掲載される。
明治3年(1870年/1871年) – 明治政府より神仏分離を迫られ、当社と七寶山高代寺が分離する。この時、仏像・経文などはことごとく破棄された。  (wikipedia・吉川八幡神社_(豊能町)より)]

豊能町高代寺境内 – 良寛歌碑「つのくにの」

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「12巻45・吉川高代寺

高代寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向に高代寺薬師院(庫裏)、カメラ北西方向石段上が本堂になります。また、カメラ南南東方向に良寛歌碑があります。

高代寺庫裏(Google Map 画像)

高代寺本堂(Google Map 画像)