雲龍寺

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雲龍寺
[もとは720年に創建された妙観寺(みょうかんじ)という寺院でしたが衰退し、1395年頃、曹洞宗雲龍寺として再建されました。
本能寺の変で戦死した金森長近(かなもりながちか)の長男 長則(ながのり)の菩提寺であり、1590年頃に長近が建物を修営したと伝わっています。
雲龍寺鐘楼門は、1729年の大火にも、羽目板の一部に焼痕を止めただけで焼け残りました。
ゆるやかな屋根の頂部に露盤と宝珠を載せ、上層外廻りには戸溝があり、中央通路の両側が入り込みとなっていることなどから、元はお寺の鐘楼門ではなかったかと考えられています。
「高山市寺院由緒記」には、1601年に金森長近から高山城にあった黄雲閣という建物を下げ渡され、これが鐘楼門になったと記されています。  (「雲龍寺鐘|高山市」より)]

雲龍寺鐘楼門
[当時の草創は古く、古代に白山社(現在の東山白山神社)の別堂妙観寺という寺があった。後、天台宗に属していたが、応永2年(1395年)頃堂宇を再建して槽洞宗に改めた。能登総持寺(そうぢじ)前住「了堂真覚」をもって開山して海蔵山雲龍寺と改称し、応永30年(1423年)6月7日に遷化したとある。真覚は高僧で、宮村の大幢寺も開いている。『高山市史』境内山上の白山権現(現東山白山神社)は、雲龍寺の鎮守として祀られてきた。塔頭(たっちゅう)(境内にある小寺)に栄鏡院、久昌寺がある。
金森入国後、天正10年(1582年)本能寺の変に際し、二条城において19歳で戦死した金森長近の長子忠郎長則の菩提寺として長近が修営した。
建物の外観は、ゆるやかな曲線をもつ屋根の頂部に、露盤と宝珠をのせる。初層中央通路の両側にふところを設け、南東側に階段がある。上層外廻りに戸溝があり、中央通路の両側が入り込みとなっていることなどから、寺院の鐘楼門として建てられたものではない。慶長6年(1601年)、金森長近より「黄雲閣」という建物を賜り、のち鐘楼門となったと『高山市寺院由緒記』には記される。享保14年(1729年)の大火にも、羽目板の一部に焼痕をとどめただけで焼け残った。  (「雲龍寺鐘楼門|高山市」より)]

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カメラ東北東方向が雲龍寺参道です。

雲龍寺鐘楼門

カメラ北東方向が雲龍寺本堂で、カメラ南南西方向に雲龍寺鐘楼門があります。